北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

New Nordic Foodと蘭子と蝶と闘争

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デンマークのフード周りは、最近賑やかになっている。星を取るレストランも増え、海外から注目もされるレストランなんかも増えてきた。日本の「ユズ」や、「旨味」と言った言葉が聞かれるようになったのも最近だ(デンマークの食事情)。そんな新しいデンマークのレストランでは、 旧来のどてっとした大味料理から、New Nordic Foodに代表される新しい北欧料理運動に影響され、地元食材を活用し、素材の味を生かす方向に変わってきている。日本の懐石に影響を受けるシェフも多く、シンプルかつ大胆な作風は、日本人も楽しめるところが多いのではないかと思っている。値段もピンキリ、作風も多様性に富んでいるので、お気に入りが見つけられるはず。ニューノルディックフード、ゼラニウム再びやその他新北欧料理、未体験の方は是非。

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最近縁あって、旧友、風見鶏蘭子ちゃんと再会した。世界を這いずり…、いや駆けずり回る彼女なので、日本で会えると思わなかったが、偶然タイミングが合い再開と相成った。なんの予定も行きたい場所も言わずにただ「会おう」と言った私に、スケジュールを組み、旧洋館を使ったフレンチを予約してくれた彼女にすっかり惚れ直してしまった。
 

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このレストラン、星を取っているレストランだそうで、趣も接客も、もちろん食事も最高だった。フレンチでも重すぎることなく、前菜に、メイン、。デザートまで、どれも素晴らしい。だが、なんといっても素晴らしかったのは、我が友、蘭子だった。
 
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デザートが出された時、「最後の一品は、5感を使って楽しんでもらえるように作られています」といって、にこやかに出された品は、音楽や音符を形取り蝶の舞う景色が描かれていた。蝶や花のあいだには、口で弾けるキャンディが散りばめられていて、ソルベと小さなケーキやクッキーやチョコレートが配置されている。確かに、冷たいものと温かいもの、カラフルな色使い、口でパチパチはじける音。5感を使っているといえばそうとも言えよう。
「…蝶が舞う姿を描いて…」と、説明された時に、蘭子は、「あぁ、パピヨンに変わったのは、そういう訳だったのですね」指を上に刺し、にこやかに給仕の女性に笑顔を向けてのたまったのだ。
 
その時にバックグラウンドに流れていたのは、「パピヨン」(だったらしい)。聞いてもわからない私。
 
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解説する人がいないがために、存在にも気づかずに通り過ぎてしまっていることは、どれぐらいあるのだろう。「面白くなかった」「単調だった」「新鮮味がなかった」…。最近のデンマークNew Nordic Foodは、皆似通ってしまい、あまり楽しめなくなってきた、と考えていたのだけれど、そんな感想を言う前に、自分の能力や知識が追いついてないかもしれない可能性について、考えてみる必要があるのかもしれない。サービス提供側と客である自分の間の闘争は、自分が見え(て)ないところで幕が開き試され、もしかしたら客側では始まらずに終了しているのかもしれない。
 
 

デンマークの学校では親が教師になる日がある

f:id:jensens:20160422045658j:image"Parents Teacher Day!!"なるもののメッセージが父兄SNSに小学校1年生の娘の担任から送られてきたのは、1ヶ月ほど前だっただろうか。

木曜日から来週の月曜日まで、教師研修旅行でイタリアのフィレンツェに行くそうで、木曜日は、「保護者が先生になれる日!」いぇい…。「私たち教師はいないので、親たちで企画構成してお願いねっ」

オンラインでは、メールが飛び交う。数人の親が率先して、"じゃあ、私は音楽を教えましょう、私はサイエンス、私は体育を"...となるところが、デンマークらしい。そこで、何も言わずに沈黙を守る親がいるところも、これまたデンマークらしい。

デンマークの学校は、常時こんな風で、日本的感覚では、ゆる〜い学校教育であるのだけれど、それでも、一応動いて、子供は育つ。そんな学校の国は、一人当たりのGDPは日本よりもはるかに高く、幸せと感じる国民を創り出している。

同時にデンマーク的感覚を100%備えているわけではない私は、折々に触れ見聞きし、親としての(デンマークの)常識、義務への対処を迫られることに、大きなストレスを感じざるを得ない。同時に、デンマーク学校のユルさから感じる娘の教育への一抹の不安と、対照的なデンマーク教師のプロフェッショナリズム対応に目眩がしてくるわけだ。ある意味、他の親の対応からは、(1週間、研修旅行で、親にしわ寄せが来ても)社会的には認められる行為であることがわかる。「ミッドナイトセッション」チキさんのゲストにきていた哲学者の國分さんというかたが、イギリスの学校について報告していたが、形はどうあれ、教育ってその国の生き方に対する常識的価値観が如実に表れるようだ。

そして来週の月曜日は(まだ先生イタリアだから)休校。今からエネルギー蓄えておかないと。

 

 

 

lost in translation

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海外で生活していると、時折、社会文化背景の違いや認識の違い、価値観の相違によって、深〜い勘違いをすることがある。このlost in translationは、11年目を迎えた現在でも、その存在を忘れた頃にやってきて私を脅かしてくれる。時には、取り返しのつかない勘違いとなり、クオリティオブライフを大いに損ねることもあることを、改めて感じるのだ。
 
あれから半年が経過し(デンマーク医療にまたしてもやられた...ている参照)、先日ようやく左目の再検査までこぎつけた。執刀グループによる検査だということで、意気揚々と行ったら、以前と全く同じ検査じゃないか。1時間待たされ受けた検査の後、手術日が提示された。その日は、半年以上かけて準備していた日本の大学とのワークショップのために日本出張に行くその当日。「その日はダメ…、どうしてもダメなの。私の半年と、今後のプロジェクトを左右する日。」半年待たされて、唯一避けたい日程に手術日が当てられるとは。
 
他の選択肢はないのかと問う私に、明らかに驚愕し憮然とする医師。「あなたが急ぎたいというから、急いで見つけて入れた最上のスポットなのに。」次の可能性はいつなのかと問う私に、半年かもしれないし、1年後かもしれない。確約はできない。と、なんとも歯切れの悪い回答。「とりあえず、他の日をチェックしてまた月曜日にでも連絡するわ。私、もう今日は業務終了だから」と、帰宅準備する医師。
 
トボトボ部屋を出て、迎えに来てくれたデンマーク人旦那に「決まりそうで決まらなかった」と、経緯を説明するや、「なんで2日を取らなかったんだ。これで、またウェイティングリストの最後尾に回されたぞ。」と、車を停めて、驚愕された。その反応に驚き、「日本行き全部キャンセルして2日とればいいのね。戻って言ってくる。」と、半分ヤケになって言ったら、当たり前だと、車を病院前に戻された。急いで診察フロアに戻るも、人っ子一人いやしない。いや…そりゃ15時5分過ぎてるけどさ…。
 
しょうがなく、とりあえず受付にやっぱり2日でいいですっと言いにもどり、さっきの日程調整抑えてありますよね、と確認するも、あなたの名前はどこにもないしスポットも空いてない。「いやー、とりあえず2日は予約されてないみたいですよ。」とのそっけない返答。帰り道も、次の日の金曜日も(医師休日、連絡とれず)、「私はとんでもない失敗をしでかしたんやないだろうか」というぐるぐる反省会が止まらない。週末は、相変わらずの頭痛と、「私はバカだ…。半年間苦しんできて、またこの辛い生活が半年〜一年続くのか。」と悶々考え続けて、時間が過ぎた。
 
今回自分に言い聞かせたこと。デンマークにいる限り病院での手術予定は、基本断るべきではない。ただでさえ命に関わらない限り、頭痛が続こうが、生活に支障があろうが、一度断ったらいつ自分の順番が回ってくるかわからない。一般的に対応は遅く、カスタマー対応は最小限と心得るべし。特に執刀医が複数人の少々難しい手術の場合、医師同士の調整も難しく、患者の仕事の都合はとりあえず二の次。無料だからか?!医師の対応は、ファミリードクターに比べて、極端に社会主義的。とは言っても、通常はそこまで問題にならないことは容易に想像できる。基本デンマーク人は嬉々として病欠を取るから、予定された手術日を断る人はほぼいないんだろうし。
 
結局、その後5月2日に手術が出来ることになり、嬉しいような…、悔しいような。しばらく検査や療養が必要とのことで、社会生活を最小限に絞ります。
 
 

未来の図書館の姿 その2:Ørestad biblioteket

考えるところあって、大学の近くにアマー地区(Amager)に位置するØrestad(ウアステット)図書館に行ってきた。最近図書館によく行くのだけれど(DOKK1未来の図書館の姿?!とか)、これもその流れの一つ。
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Ørestad図書館は、面白いロケーションにある公立図書館だ。何が面白いって、公立高校の隣、公立小中学校(デンマークでは10年制の一貫義務教育)の地上階に位置している。
 
欧州の図書館は大きく変容している。本を貯蔵する場所ではなく、米国的なコミュニティーハブでも、コンピューターを保有しない人がインターネットを使う場所でもなく、あたらしい役割が模索されている。日本の著名なデンマーク図書館を紹介する書籍で、移民支援や学習支援といった社会的弱者支援をする場としてのデンマーク図書館の役割がフォーカスされていたが、それだけではないというのが、現地に生活するものとしての肌感覚だ。
 
今回は、縁あって、図書館員の方に案内してもらい、色々とお話を聞くこともできた。
 
そのうち、今一緒に創造性教育について調査している友人(友人の図書館訪問記はこちら子供がのびのびと過ごせるデンマークの図書館 | Meimoon-Style)と一緒にまとまった報告が出来ると思うが、この図書館は、地域の学校、住民と人的交流やアクティビティーを通じて密接に関わりを持っていること、新しい子供の創造性支援のためのインフラ作りを進めていることなど、想像以上に面白い発見が多々あった。
 
案内してくれた図書館員の方は、隣接する高校の学生が、うまく図書館を活用できるようにアドバイスする高校生対応を専科とする図書館員の方だ。図書館で働きつつ、高校から予算がついているコペンハーゲンでも珍しいタイプの図書館司書と言えるだろう。
 
個人的に、この方とお話するのは非常に面白かった。図書館員としてのプロフェッショナリズムや、他者の役割を侵さない(自分の役割を認識し、それ以上のことは外部リソースを使うことを前提として動く)態度など、興味深い。特徴のある場所には、特徴のある人が活躍するのかも。

デンマークのリビングラボ

 

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昨年末に執筆した記事が、デンマーク日本人会の会誌に掲載された。題して、「福祉テクノロジーを醸成、リビングラボの挑戦」。デンマークにおける福祉テクノロジー事情と新しい実証実験のカタチ「リビングラボ」について執筆したものです。見開き2ページの短い記事なのだけれども、新しい技術を社会に導入する際の課題はどのようなものなのか、さらに社会における技術の導入をより望ましい形で実現するためにデンマークが積極的に採用する方策「リビングラボ」とは何か、という社会的要素の強い先端技術の紹介と、リビングラボの導入的な記事になっています。

一部を抜粋すると、

技術的優位性があっても、その技術の本質が理解されるか、技術をうまく社会のニーズと融合させることができるかどうか以外と難しい課題である。技術を社会に導入するときの課題としては、技術の背後にある意図を、その技術を見ただけ、また時間の経過を経ずに理解するのは非常に困難である、また、状況を切り離して理解を試みても、本来の意味づけを理解するのは困難である、といった点が挙げられる。

技術と人との複雑な関係に橋渡しをしようとする興味深い試みが、北欧や欧州全体、そしてデンマークで盛んになっています。それは、技術を社会に大規模導入する前に、実際に生活の場やそれに近い形で、関係各所を巻き込んで使ってみよう、使い込んでみよう、そして改良してみよう。そしてそれを満足するまで繰り返し、トコトン最上の形を追い求めようという反復のイノベーションの試み『リビングラボ』です。リビングラボは、一般人を含めた利害関係者を巻き込むための工夫を提供し、長期的視点で社会の中の技術の位置付けを探る試みです。

さて、デンマークは、積極的に産官学連携を進めていて、実証実験なんかも積極的に行っているわけなんだけれども、最近、このリビングラボが産官学連携であちこちに生まれてきている。

タイミングよく、日本企業から依頼があり、2015年度に日本企業の依頼で、在外研究でいらしていたK教授と一緒に、北欧を中心とした欧州のリビングラボの現状を調査し、実際に足を運び、インタビューなどを実施してきた。年度末を控え、その報告書が完成間近だ。

リビングラボについては、知らないわけではなかったけれども、改めて調査してみると、本当に興味深いケースがたくさんあった。デザイナーのK教授と私の関心事は少しずつずれていることもあって、より広範囲でカバーすることができたと思っている。一般に公開できるようになるかはまだ未定だけれども、ぜひ多くの人に読んでもらえる形になってほしいものだ。そうなった場合には、また報告させてください。

今回の調査には入れることはできなかったのだけれども、そのほかにも面白いリビングラボデンマークにはたくさんある。特に最近興味深いと思っているものの一つは、コペンハーゲン市のスマートシティの取り組みだ(DOLLAlbertslund Living Lab, Lighting Metropolis, Gate 21Copenhagen Solution Labなど事例はたくさんある)。例えば、光に注目したDOLLは、街路灯などの光を活用し、情報ネットワークをメッシュに張り巡らせ、都市全体データ基地化してしまうという計画を立てている。コペンハーゲン市及び一帯には、何箇所もリビングラボが設立されており、オフィス街や住宅街の一角が、リビングラボになっている。光通信のハブが設置されている場所もあり、その光通信(Lifi<-WIFIならぬ光FIだ)を使って通信すると、スターウォーズ全6作、HDバージョンが、20秒でダウンロードできてしまう速度だそうだ。

光をゲートウェイにすることでできることがたくさんあるんだと、改めて感心。光通信素晴らしい!街路灯の取り換え時期を迎えたコペンハーゲン市は、インフラ再整備の一環として、将来を見越したネットワーク整備も同時に行っていて、こんなところに、フレキシブルで効率性重視、横連携を進めるデンマークの強さが見えるのかも。

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そのほか、リビングラボでは、ビックデータの活用なども一つの鍵となっている。例えば、Copenhagen Solution Labは、光というより、どちらかというとビックデータの街における活用が中心だ。

今後も、コペンハーゲン市ではリビングラボという器を使って先端的な技術が段階的に導入されていくことになるだろう。まだ利便性が保証されていないけれども可能性が高い技術やサービスの実証実験ができる場、リビングラボ。リビングラボは、コペンハーゲン生活をもっと楽しくしてくれそうだ。

 

 

UXマインドを組織に埋め込むには-レゴ編

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LEGOのUXシニアアーキテクトから、レゴ内部にいかにUXマインドを埋め込み、IT開発に活用できるような文化を創り出していくか、ということに関して話を聞いた。

デザイン手法を導入するのは、特に大企業が対象の場合は、長期計画で進めていく必要があるだろうけれども、話を聞いていて思ったのは、やはりそれなりの王道があって、その王道を地道にやっていくことが必要だということだ。

華やかに我々はデザイン思考を取り入れた!というのは簡単だけれども、一部の人がやりたい使いたいと思っていても組織の文化やプロセスを変えるには至らないし、それができなくては、大企業でデザイン思考を取り入れる価値は大幅に減少してしまう。

レゴの場合、学術的にも産業分野においてもUXをとことん追い求めた経験者が、マーケッタと一緒になって、UXマインドの組織への埋め込みを外堀から埋めていっているところが鍵になっている。

インターナルマーケティングを地道に続け、リーダーシップコミットメントを確保し、企業の作業プロセスに組み込むためのプロセスの変更、ツールの整備、そして教育プログラムや図書室などの見えるところの整備...、身近なところからできる工夫を地道に進めているところに、底力を見た。

ロケットサイエンスは存在しない。

コペンハーゲンの草の根教育


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デンマーク国民学校(義務教育の小中学校)は、朝8時から12時半(早くて)、もしくは遅くて14:30に終わる。男女ともに働く社会デンマークには、そのあと学童が提供されていて、この学童(SFOと呼ばれる)は17時に終了する。デンマークの教育費は無料と言われるけれども、保育園や幼稚園やこのSFOは、教育の枠組みではないので、有料だ。だから通ってない子供もいる。

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学校の時間がそれほど長くないし、学習塾などもないから、SFOに参加する時間は、膨大だ。今週一杯冬休みだったのだが、仕事は普通にあるから、休暇を取らない人たちや面倒を見てくれる人がいない場合は、一日中SFOに参加することになる。だからこそ、SFOの質がとても重要だ。我が娘が通うSFOは、先生たちも非常にフレンドリーで、家ではあまりやらない絵の具やら大掛かりな工作なども、大人数の効力か積極的にやってくれる。ありがたいものだ。
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同時に、最近はSFOにはもっと多様な可能性があるんじゃないかと考えている。例えば、オーフスの図書館は、多くの子供向けイベントを開催しているけれども、近所の学校やSFOと提携して出張イベントなどを実施したら、図書館アーティストやNPOなども活躍の幅が広がるし、子供もより多彩なアクティビティーに触れられて、創造性が発揮されるかもしれない。

最近友人と「理系的クリエーティビティを育てる」取り組みを小規模で進めているのだが、幼児期における理系教育は、ここデンマークでも限定的だ。デンマークも理系人材が足りず、外部から輸入している状況だが、このあたりテコ入れできたら面白そうだ。
我が子のためにも…。