北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

働き方、生き方

f:id:jensens:20160729193453j:image皆、違うと知ってる。どうにかしなくちゃ、変えなくっちゃって思っている。それなのに、変わらないのが、日本の「働き方」だ。日本の労働環境は「一億総ブラック」と、昨日会った方が言い、言い得て妙だと変なところに感心してしまう。

 

今日も一日中、働き方について考えていた。

 

デンマーク人たちは、自分の理想とする人生を送るために、仕事を変える。仕事に満足している人が多いのは、好きな仕事を追い求め続けることを止めずに、その時の最善のチョイスを得ていると自負できているからだろう。何がしたいのか最初からわかっている人はいないし、1-2ヶ月の就活で、一生の仕事が見つかると考えているのであれば、それは虫が良すぎる。知り合いは夏休み1ヶ月欲しいからと言って教師を目指し、違う職についた後も諦めずに今は転職して高校の先生になっている。公務員だったけれど民間で働き、今エストニアで博士をしている人もいる。

 

その時の環境や目的意識の変化によって、軌道修正をしつつ、フレキシブルに仕事を変える。自分がどう生きたいか、そんな視点で仕事を真剣に考えているからなんだろう。

 

デンマークでの口頭試問の受け方

f:id:jensens:20160625050814j:imageデンマークを始めとした北欧の大学では、学部レベルから試験で口頭試問がある。授業の最終評価方法は多種多様で、レポート提出や選択肢式テスト、筆記テストばかりでなく、口頭試問や、持ち帰り試験(与えられた課題を指定の時間ないに解き提出する。24時間とか72時間とか...)などがあったりする。

私が今季担当していた「新規事業コンセプト開発」の授業では、口頭試問が最終試験として予定されていた。口頭試問といっても形は様々で、私が担当したものは、1ヶ月前に提出したグループレポートに基づき、個人で30分、口頭試問を受けるというものだ。30分といっても、内訳は、5分の発表、15分の討議、そして10分の2人の評価者同士での考査であるから、実質20分の発表と言っていいだろう。

日本の面接のように圧迫面接があるわけではない。また、気を逸らすものがあえて用意されているわけではない。自分たちが執筆したレポートの中で、自分の好きなトピックを選んで、5分間話すだけだ。ただ...このような口頭試問は、デンマークの学生はそれなりに慣れているのだろうが、日本の交換留学生にとってはかなり厳しい試験なのではないかと思う。不文律が多すぎるのだ。

第一に、ルールが明文化されていない。もちろん内訳や受け方は、事前に解説されることが多いが、どの程度準備していくべきか、最初の5分発表の内容をどのように選択したらいいのか、「習うより慣れろ」的な部分が多い。今回、私が担当していた授業には、交換留学生が数人いたのだが、彼らの評価は非常に低かった。担当試験官によると、「交換留学生はただ質問されるのを待っていた」んだそうだ。きちんと事前にデンマークの口頭試問について解説していたとは思えない。

第二に、センサーと呼ばれる外部評価者はかなりの曲者であることが(経験値でも)多い。センサーは、授業について理解している人ばかりではなく、もちろん個々の学生に関する理解にも限界がある。そのような学生の数ヶ月間の学習評価を、レポートと5分プラス15分のインタラクションで実施するわけだ。もちろん、この2人体制の評価は、担当教官が特定の学生を贔屓したり、逆に個人的な理由で低評価することを避けることはできるけれども、発表が苦手な人や緊張してしまいがちな学生にも、通常のレポートや授業態度やプロジェクトの関わりなどで情状酌量できず、予想外の低評価にならざるを得ない場合がある。

今回私が試験を担当したイダやニックはまさにそのような学生だった。いつも授業にも積極的に参画してグループを引っ張っていたイダと、授業には参加せずグループワークも理由をつけてはサボりグループのお荷物だったニックが同じ評価になってしまったのは、今思い返しても胃が痛くなる。イダは、緊張気味だった上に、センサーの専門分野に入り込んで墓穴を掘ってしまった一方で、ニックは、あえて言わせて貰えば、おしゃべりが上手だった。

デンマーク学術界の不文律で、「センサーの意見には逆らうな」というものがあるが、今回ばかりは、センサーを説得することかなわず、無念で仕方ない。センサーのイダの評価を一段上げることができたのは、不幸中の幸いだろうか。「かろうじてパス」の評価を下そうとしたセンサーに、どう対抗できたのだろうか、数日たった今でも後悔とぐるぐる考察が頭をよぎる。

そんな状況にならないように、(もしくは巻き返しを狙い「ニック」作戦でいく方も)日本人の学生でデンマークで口頭試問に臨む方は、是非ご一報ください。事前に色々とビシバシアドバイスはできますよ。

 

デンマークの教育は「自分探し」の旅

f:id:jensens:20160618193540j:image過去数カ月にわたり、デンマークの教育とイノベーションの関係を模索していた。デンマーク人は創造的だと言われることが多いし、没頭してとてつもない飛躍を遂げたり、少し外れたアイディアを一生懸命追求し身を結ぶことも多いように見受けられる。面白いことをやる人、視点を持っている人が多いのだ。そして、多くの人が誇りを持って追求している。好きこそ物の上手なれとはよく言ったもので、好きなこと、一生をかけてやりたいことを探し、それに没頭するデンマーク人。好きなことを見つけた人は、自分で自分の道を切り開く。そのような周囲の価値観にとらわれない姿は、本流から外れても気にしないなど、潔くも美しい。

何が言いたいのか。一つの正解があるのではなく、自分の正解を探させる教育、それがデンマークの教育だということだ。自分の人生の軸を探させることを追い求めているのがデンマークの教育ということだ。これが、現段階での私の理解である。

子供が学齢期に達してから、デンマークの教育に関心が深まってきたのだが、初期は主に日本の教育方法とデンマークの教育方法が大きく異なることからジレンマとして表出してきていたのだと思う(デンマーク式教育再考)。デンマークの教育との孤独な闘いを通して、次第に、デンマークの教育方法には、その根底に「どう学ぶか」ひいては、「どう生きるか」という柱が一部意識的に、多くは無意識的にあることが見えてきた。日本の教育にも良い点が多々ある。ただ、今後、子供達にどう生きて欲しいのかと考えると、デンマークの教育は...、悔しいけれども、私の中では軍配があがっている。

ちなみに、これは、めいむちゃんと議論したことの備忘録で、誰かの役に立つかなと思って、外在化してみたものだ。

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デンマークの病院のサービスの質について

f:id:jensens:20160530022538j:imageデンマークの病院に当事者として関わることが多々あり、それなりにデンマークの医療について一家言出てきた今日この頃。特に、病院におけるサービスについて、色々と考えるので、それについて備忘録として記録しておく。

手術前のブリーフィングjournaloptagelseに病院に娘と義理の父(デンマーク人)と行った時のこと。旦那が出張中で、一人で行くはずが、朝の8時に検査ということで娘を学校に送っていくには間に合わず、また、たまたま義理の父が我が家にいたことから、なぜか3人で行く羽目に。到着したら、前回検査で1時間待たされたのとはちがって、すぐにコンサルルームに呼ばれた。幸先良し。その後も待たされることなく、対処も不可分なく。特に問題ない訪問で、どちらかというと私の印象は「無駄がなく、効率的プロセス」よろしい。だった。ただ、帰宅後、義理の父が、憤慨して私に言った。「事務的で失礼な医師たちだ!」

手術後の翌日検査に行った時のこと。まだ周囲がよく見えないので、旦那に手を引いてもらいながら。これまた、それほど待たされることなく通された。診察は、2〜3人が、立ち替わり入れ替わり。いや、実際は私が移動するのだけれど。医師は、早口で質問し、手際よく検査する。検査や問診の最中に、看護師やら技術士が入れ替わり立ち替わり、医師に指示を仰ぎに来る。医師も、出たり入ったり忙しい。一般診察室なのに、まるで戦場。その後、移動して待っている間に、目の前にかかっているホワイトボードを見ていて気付いた。旦那と話してて合意したのは、そのボードは、出欠表部屋割り表なのだが、病欠を取っている人が、少なくとも10人中3人。

2つの例で何が言いたいのかというと、医療治療技術や質でいうとデンマークは悪くないんじゃないかなという一方で、課題は結構深刻ということ。

義理の父は、ガンが発見された時、日本でも珍しいロボット治療が地方の病院で可能で、ことなきを得た。つまり、地方にもそのような高額先端機器が備わってるということだ。最近も、日本人が地方自治体のアレンジでアメリカにガン手術に行った。デンマークでは、その特殊な癌治療のための機器がなく米国のデンマーク人村が所有していることがわかったために米国での治療とあいなった。その費用は全て国持ち。家族の渡航費も国持ち。散々デンマーク医療について否定的な意見を言っておいて、今更なんだ、と思うかもしれないが、デンマーク医療の課題はその医療の質にあるわけではない。

病院サービスのサービス受領側になり考えたのは、デンマーク医療の課題は、デンマーク社会の強みとなっている部分(ワークライフバランスとかフレキシキュリティ)がうまく機能していない、もしくはその強みが守られているために起こるんではないだろうかということだ。

医療関係者の圧倒的な精神的余裕のなさと仕事量の多さは尋常ではない。これはどこから来ているかというと、一部、デンマーク独特の社会構造からだ。デンマークは人件費が高いから、簡単に人を雇用できない。独立性が高いから、看護師は「医師の秘書」であることを拒む。だから、医師は誰でもできる本質ではない仕事(カルテを運んだり、看護師を探しに行ったり、患者の車椅子を押したり)もしなくてはならない。医療は少ない人数で回さざるを得ず、そこで、病欠が出た場合は、高技能者である医師を含めた既存メンバーでカバーするしかない。

幸せの国は、どこかに存在するわけではなく、模索しながらつくっていくものだと、誰が言ったんだっけ。

 

 

ノルウェー人の常識

再びノルウェーNRK製作のKampen om tungtvannetの話。この作品、ノルウェーNRK製作だけれども、ノルウェー語英語ドイツ語が入り混じり、一見ノルウェー製作だとわからない。だから初めは、特にノルウェーが作ったことに注意を払ってなかった。

ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作 - Wikipedia

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48年?に作られた同様の工作をテーマにした映画は、まさに映画らしさ満載で、演じている感が満載すぎて真実味が薄い。一方、NRK製作のものは、侵入や破壊工作のプロセスが丁寧に描かれ、あまりにも派手さがなくて逆に緊張感を高めている。

ノルウェー工作員チームが悪天候のために、予定外の場所にパラシュートで降ろされたシーンでは、エリアに吹雪の中、数十キロ離れた戦略室となる山小屋までスキーで訓行していかなくてはならなかったノルウェー人チームの姿を見ていられなかったし、後発隊(イギリス人部隊)が全滅しミッションを実施できず、食料のない冬山で次のミッションの知らせを待たないといけないとか、無茶な作戦すぎるんじゃないかと思わずにはいられなかった。

ただ、ノルウェー人にとっては「十分実現可能な戦略」と思っていたことが明らかで、常識や冬山・サバイバルスキルの違いに圧倒された。あまりの過酷さにめまいがしそうになっていたけれども、NRK製作だとわかってからは、少し安心して鑑賞することができた。

特に、ハダンゲルの山を熟知してるノルウェー人たちが、テレマークスキーを駆使しながら戦略を実現させていくシーンは秀逸だ。冬山を何日もかけて横断してスウェーデンまで渡ったり、1ヶ月間食料なしで冬山で収集狩りのみで生き延びたり、数千人のドイツ軍をスキー一本でかわしていったり....、冬山での北欧人のサバイバル能力の強さを見事に示している。私にもそしておそらくイギリス軍にとっても、どう考えても実行不可能に思える作戦が、ノルウェー人的常識では可能な作戦となる。「まず、誰も崖を登ると考えないから警備も厳しくないよね」というシーンは、日本の戦国時代の数々のストーリを思い起こさせた。

NRKは、いわゆる日本のNHKに当たるノルウェーの国営テレビ局、国営とはいえ、国の誇る物語を全く知らない私のような人に届け、そして感動させるその力量に感服だ。Kampen om tungtvannetは、全6回なんだけれども、しばらく次回が楽しみでたまらなかったし、全話見終わった今も、この戦略の素晴らしさやノルウェー人の素晴らしさに、思い出すたびに震えがくる。

あぁ、私には、第二次世界大戦ノルウェーの冬山も越せない。

 

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コラボレーションの歴史

f:id:jensens:20160625051318j:imageいろんな知見を持った人が集まり一緒になって課題解決に取り組むということ(利害関係者間の協調作業/コラボレーション)が、非常に得意な北欧の人たち。利害が必ずしも完全に一致しない場合でも、議論をしつつ解決策を見つけていく。毎日の生活の中でそんな姿に感嘆させられることも多いが、このようなコラボの方策は、一朝一夕に出来上がったものではない。

2015年NRK(ノルウェーテレビ局)製作のKampen om tungtvannet (重水の闘い)は、ノルウェーテレビ局のテレビドラマ作品だ。第二次世界大戦中、イギリス軍とノルウェー人(イギリス軍に合流)が協力し、ノルウェーテレマーク地方にあったヒュドロ重水工場の破壊工作を進めた一連の作戦をドラマ化したもの。

すでにナチスドイツの占領下にあったノルウェーにおいて、核兵器の開発に利用できる重水を作り出していた工場を、ノルウェー人部隊が乗り込んで破壊し、ドイツの原子爆弾開発計画を阻止するというプロット。これは実話で、破壊工作作戦に関わっていた人たちのなかには、まだ生きている人もいる。物語は、戦略を指揮していたノルウェー人大学教授ライフさん(Leif Tronstad)の視点で語られるが、彼ばかりでなく多数のノルウェー人が対ナチスに加わるためにイギリスに向かい、イギリス軍と作戦を共に実施していく。

物語に夢中になって見落としがちなるが、ここには北欧の人たちの小国としての生き様というか、小国に生まれたものとして獲得してきたのであろうスキルがいかんなく発揮される良い例のように思える。

一部のエリートだったのかもしれないけれども作戦に参加しているノルウェー人たちは複数言語を操る。そして、軍隊や占領下においての異文化への対応も小国ならではだろうか。

破壊工作プロジェクトでは、当然のように英語を共通語として戦略が練られる。ノルウェー人出奔者は、英語で議論し、さも普通のことのように、異なる文化やプロセスや価値観で動いているだろう他国の軍隊と一緒に戦略を練るのだ。

同様にナチスドイツの支配下に置かれていた工場は、ドイツ軍の配下で重水製造を続けるが、マネージャーのノルウェー人は、ドイツ語を話し、(心情は別として)工場と雇用者のサバイバルのためにドイツの論理に従い、協調していく。

他国と協調していくことがデフォルトで求められていた欧州地域。一方で、イギリス軍に下るのではなく、またノルウェー国内に地下組織を作るのではなく、イギリス軍の力を借りて、祖国の知見を生かし、作戦を展開していく。ノルウェー人でないと考えられなかった作戦をひねり出し、主導権を握ったのは、ノルウェー人たちだ。 

ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作 - Wikipedia

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 写真はもちろん関係ないんだけれども、デンマークで偶然出会ったノルウェー独立記念パレード

 

 

タンポポと日本人

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タンポポが咲き始めると春が近づいてきたと日本では思うかもしれない。梅の花や桜なんかもそうだろうか。以前とある記事で「桜の花に郷愁を感じられない自分」「自分は鮮やかな花の方が好きだ」という海外育ちの日本人の話を読んだことがある。ある特定のものを見て一定の感情が喚起される感覚は、文化独特と捉えられるが、確かに文化・社会によって醸成されるものなんだろう。

タンポポデンマークでは雑草だ。「野に咲く雑草」というレベルではなく「排除されるべき憎き対象」になっているんではないかと思っている。いわゆるゴキレベル。以前、温和な義理父が庭に生えてきていたタンポポを「こんなところにも!」と言い足で踏み潰しグリグリしていたのを見て、一瞬背筋が寒くなった。確かに青々として美しい芝生づくりには天敵なんだろうが、雑草とはいえ愛らしい存在であるタンポポが受けているあまりの対応に悲しみを感じざるを得なかった。

2年ほどまえだろうか、同じことを当時5歳の娘が、足でグリグリとやりながら、「お母さん、これよくない花なんだよ」と私ににこやかに言ってきたので、思わず反論してしまった。「そんな風にタンポポ踏んだらかわいそうじゃない?お母さんは好きよ。かわいいと思う。日本では、みんなが好きな雑草なのよ」。その後、娘が「タンポポかわいいよね。日本ではタンポポみんなが好きなのよ」と友人に言っているのを聞いて、嬉しい反面、感覚の押し付けをしてしまったのかと複雑な思いになった。

週末の日本人補修学校で使われている文部省検定済みの二年生の教科書には、タンポポの話が載っていて、タンポポがいかに花をさかせ、エネルギーを蓄積し、綿毛を飛ばすがか、細かく記載されている。愛らしい対象として描かれているタンポポの記載を見て、あぁ、これが文化的な刷り込みなんだなと思ったりしていた。

荻上チキ(最近目が疲れるのでよくラジオを聞く。複数のポットキャスト中でもオタクっぷりが秀逸だ)さんラジオのゲストで藤村シシンさんという方がいうには、古代ギリシャの神殿はカラフルだったと。藤村さん曰く、今の私たちは過渡期にいる。我々のイメージに埋め込まれている白い神殿→本来の姿であるカラフルな神殿への移行に迫られているけれども、今後の子供達は本物のカラフルな神殿を本物であるとして脳にインプットされていくので、違和感なく「カラフルなギリシャ神殿」を受け入れていくのだろう。

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タンポポが可愛いという感覚を私の子供達の脳内に焼き付けたい、と思うと同時に、複雑な気持ちにもなる今日この頃。