北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

コペンハーゲンの街並みはなぜ美しいか

f:id:jensens:20161127144507j:imageコペンハーゲンの街を訪れた人は、口を揃えて街のハーモニックな景観やデザイン性に富んだ町並みを高く評価する。確かに、デンマークの街並みは、デザインの配慮が行き届いているし、一貫制があり、美しい。

コペンハーゲン市の役人が言っていたことで、開眼させられたことがある。話しの文脈は、「コペンハーゲン市の2025年目標、世界初のCO2ニュートラルの都市にする。」そのために、コペンハーゲン市が何をしているか、だ。風力発電電気自動車の導入色々と対策がとられており、太陽光発電に話が及んだ。太陽光発電は、都市における鍵の一つであるということを認めた上で、景観を損なわないために、アパートの屋根で中庭側の屋根にのみパネルを設置する、ことを進めている、んだそうだ。どうりで進めてるという割には、太陽光発電を街中で見ないわけだ。

街のデザイン、人々の心地よさをまず考える。そして、その制約の中での解決策を考える。デンマークの街並みが美しく居続けられるわけがここにあった。

子供は実験素材ではない

f:id:jensens:20161123171238j:imageデンマークは課題先進国とよく言われる。様々な社会的実験が行われているし、新しい試みも次々とみられる。アジャイルは、デンマークお家芸とでも言えるだろう。

子供に関する先進的取り組みも多々みられる。デンマークにおいて養子はもはやタブーではなく、試験管ベイビーといった体外受精やドナー(精子卵子・母体)も、だいぶ普通の選択肢になっている。旦那はいらないと、種だけ入手して一人で子育てする女性が雑誌に特集されてたり。

結婚や永遠の誓いに基づく家族制度、夫婦二人の「愛の結晶」として子供を持つといった考え方は、もう旧石器時代の遺物のような扱いを受けているようだ。16年発表の15年統計では、離婚率は47%。前のパートナーの子供をお互いが連れて再婚し、新たに子供をもうけるというケースも珍しくない。

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シークレットミッション

f:id:jensens:20161123171815j:imageここ一年ぐらい、日本からのメールがパワーアップしている。そう、添付ファイルの件だ。まるで、シークレットミッションか何かであるかの様に、添付ファイル付きのメールにはパスワードがかけられ、別送メールでパスワードが送付される。
単なる雑誌用の原稿だったり、ある日の予定表だったりに過ぎない。誰も盗まないし、知られることで損する人がいるとは思えない。
パスワードがかけられることで、iPadiPhone のブラウザで原稿や資料を確認することができないし、何よりも書類をオープンするためだけに2ステップ必要って非効率極まりない。
人の関係や仕事には時に無駄は必要だけれども、これは明らかに無駄だ。

洗濯物たたみは運動であるのか

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現在REACHプロジェクトの調査の一環で、センサーやモチベーションテクノロジーについて、過去論文を読み漁ってる。ほぼ知らない分野だったので新しい発見がたくさんあって面白いのだけれども、2012年頃のもう古い論文を読んでいて、ハッと気づかされたことがある。

現在実験に使っているfitbitは、個人的には非常に気に入っていて、万歩計機能も睡眠測定機能も意外と健康を認識するには役立っているじゃないかと思っている。ただ、最近利用していて時折気になっていたのは、洗濯物をたたんでいるときに、1万歩達成のファンファーレが鳴ったりすることだ。

今回論文を読んでいて、センサーがきちんと行為を認識できてないんだろうということに改めて気づかされた。fitbitが、どんなセンサーを使ってどんな計算式で歩数を認識するようにしているのかわからないけれども、自転車も認識すれば、ランニングも認識する。でも、「洗濯物たたみ」は「歩いている」と、どうやら認識するらしい。

Fitbitを始めてから、記録を見るのがとても楽しみになっていた。fitbitアプリのインターフェースは非常に優れていて、うまくデータが可視化されているから。だが、記録は正しくとられているという前提の元、初めて役に立つのであって、洗濯物たたみが「歩いている」ことになるのであれば、その楽しみは半減してしまうのである。歩いてないのに歩いたことにしてしまっているわけだから、データは誤りで、その誤りを自分は信じていたことになる。

歩くというデータはただの波で、そのままでは普通の人は理解できない。だから、可視化する必要がある。だけれども、誤った情報を本物と誤解してしまう危険性があるという点で、可視化されたものをそのまま信じてはいけないことを、よく肝に命じないといけない。

駐車できない女

f:id:jensens:20161016033414j:imageまた、あのいつもの駐車場でスタックした。なぜかわからないのだけれど、幅寄せしすぎて駐車スペースから出られなくなってしまったのだ。向かい側に駐車した車の親切な紳士が、切り返しし続け、どんどん深みにはまっていく私を見かねて?!親切にも手伝いましょうか?と声をかけてくれたのだけれど、「今は無理!」と向こうにはおそらく理解不能だろう返答をしてしまった。いや、でも本当に頭がショートして危険信号が付いていたので、どうしようもない。
買い物を終わって深呼吸の後に駐車スペースから出ようとした私に背後から「切り返しは反対だよ!」とのアドバイスが飛んできて、顔を向けたらまた同じ紳士だった。
右に切り返してバックするはずのところ、左に切り返す私の頭の中や理解力の乏しさを自分でも説明することはできないのだけれども、自分に改めて正直になると、私は右に行くべき時に左に行ってしまう人なのだ。それを改めて認めなくてはいけないことを久しぶりに再認識した次第。
そして改めて親切な紳士に感謝。本当に親切な人だった(呆れてたかもしれないけれど、そんな様子は全く見せず)。
このような「車でスタック」をかなり頻繁にする私は、まるで外に目があるかのように自由自在に車を操れる人の頭の中の仕組みや身体感覚が実はよく理解できない。ただ、おそらく自分とは全く違う論理で動いているのだろうことは理解できるが故に、できない人を理解できる「できる人たち」は、どのような思考プロセスを持っているのかにとても興味がある。
(つまり、本当は呆れてるのか、それとも頑張ってもりきできないんだということを理解してくれているのかってことです)
そんなことを考えながら夜明けを迎えた時に見た朝焼けがとても綺麗だった。

ワークショップのオーガナイズを考える

f:id:jensens:20160924114902j:imageワークショップオーガナイザという職種の人に会ったことがあるだろうか?最近関わっているプロジェクトREACHで、参加型Co-Designのワークショップを実施しているのだが、ワークショップでは、そのワークショップオーガナイザが活躍している。

REACHプロジェクトのワークショップオーガナイザーのタスクは、4カ国で開かれる全ワークショップの構成を練り、テンプレートを作り、関係各所を呼び込み、ワークショップを実施すること。今まで本プロジェクトでは、4ヶ月の間に、3カ国でワークショップが実施されている。

チャーミングなオーガナイザ・ジムは、即興で記録を作り、周囲を巻き込んで、視覚的な共有財産を蓄積させていく。ジムが作り出すワークショップの枠組みは典型的なデザインワークだ。プロセスもデザイン手法の王道を行き、発散フェーズから収束フェーズへと移行していく。中でも素晴らしいのは、彼本人のその記録能力やファシリテート能力だろうか。意見をうまく汲み取り、短いキーワードで記録しまとめあげ、参加者は、15分も経てば周囲にはA0の記録用紙が所狭しと掲示されていることに気づくだろう。そして結果はどうあれ、やり遂げた感、満足感が残る。ただ、正直に言おう。グループにジムが入るかどうか、別のメンバーがファシリテートするかどうかで、意見がうまく出されるか、盛り上がるか、果ては参加者(少なくとも私)のワークショップ参加の満足度は大きく変わる。

そして、結果の満足度が高いかどうかは、少なくとも現プロジェクトではオーガナイザ・ジムの個人的な対人スキルやたくさんの引き出しを持って進めるワークショップ手法に依るところが大きいことを、回を重ねるたびに実感させられている。

ワークショップの構成、そして何よりもワークショップオーガナイザーやファシリテーターの能力によって、ワークショップ慣れしている人や逆に慣れてない人の参加度合いが大きく変わる。この「ワークショップがうまく運営されるかどうかは、構成よりは、主導者個人の技術に依ることが多い」という実感は、REACHプロジェクト外でも感じている。

ワークショップオーガナイザという職種は、今後どのように展開していくのだろうか。日本でもワークショップ研究をする人たちが増えてきているようだし、グラフィックレコーダなども活躍しているみたいで、ワークショップは今後もっと増えていくだろう。

だからお願いしたい。一つのワークショップに参加して納得できなくても、そこで全てのワークショップを否定しないでほしい。少なくとも北欧の参加型デザインやcodesignは、様々な手法やツールを駆使して、ファシリテーター依存を下げる工夫をあちこちに組み込んでいる。手前ミソだけれども、オランダ流ファシリテーション(ジムはオランダ出身、オランダのデザイン教育を受けている)の手法を通して、やっぱり北欧の手法は面白いんじゃないかと思った次第。

ガーダーホイフォート:戦争ごっこ

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少し前の週末に近くの要塞でイベントがあるということで、子供を連れて出かけた。Garderhøjfortと呼ばれるこの要塞は、コペンハーゲン最大の要塞で、Jægersborg駅からほど近い場所にある 。地下要塞が作られていて、作られたけれども使われなかったダブルキャノンが設置されている。この日のイベントは、要塞見学や大砲の発射、野戦食(?)が食べられるというものだった。行ってみて、いやぁ、驚かされた。

要塞の周辺には、1943年(後で知った)の軍服の軍曹や女性兵や看護師が歩き回っていた。第三帝国の腕章をつけ、デンマーク国旗を腕に縫い付けたドイツ軍服の男はタンデムを運転し、ものすごい音を出しながら、要塞を監視している。たくましい白髭を蓄えた軍曹風の男性も若い兵士と談笑しながら要塞に入っていくし、古風なナース帽に、長いスカートを履き、木製の救急箱を抱える女性看護師が要塞と外を忙しそうに行き来している。赤いルージュをつけ、膝丈のスカートを履き、さっそうと歩き回る女性兵(当時の服装だから今から見るとちょっとやぼったいんだけれども、それがまたかっこいい)、外の炊き出しでスープを混ぜる一等兵(?)。一瞬、自分がどこにいるのかと、タイムトラベルでもしたような感覚に陥った。まるで、テレビのセットもしくは過去の一ページに自分が入り込んだかのようだ。

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ホームページによると、この要塞は、市民による保存運動にも関わらず、コペンハーゲンをはじめとした地方自治体の支援を受けることができず、市民がネットワークを作り資金を捻出、2013年9月に公開が始まったものだそうだ。初公開時には、デンマーク科学技術館(Experimentarium)が支援し、その名残で内部の展示物には、英語とデンマーク語の両方で解説がつけられている。

もちろん、保存状態が良く、内部の地面を掘って作られた秘密基地的な雰囲気も圧倒されるものの、何よりもこの「場」自体、その雰囲気に圧倒された。具体的に何に圧倒されたかを考えていくと、"1943-45当時の軍人になりきって要塞のそこらかしこで歩き回る人たちの真剣さ"にたどり着く。ヴァイキングオタクたちと同じように、当時の食器、当時の洋服など(おそらく自作)をを着込んで、司令室で大きなマップを前になにやら話し合っていたり、当時のタンデムバイクに乗り込んでエリアを疾走したり...。その当時の生活を再現しているのだ。この人たち、以前、デンマークのオタクたちで、見た軍隊マニアと同じグループと思われる。彼らの本名は、Danforce Bataljonen。多分にもれずフェイスブックページもある(Danforce Bataljonen)。

jensens.hatenablog.com

戦争オタクと言っても特に危険思想などとは関係なさそうで、単純に当時にロマンを感じ、週末に当時の生活に耽って楽しんでいる朗らかな人たち(にみえる)。

彼らを見ながら、第二次世界大戦の傷跡が深く残る国で、このような演技がどこまで楽しみとなり、社会文化的に許されるかを考えると「本物のコーヒが飲めない」ことが最大のストレスだったこの国の、戦争の影響の違いに唖然とさせられるのだ。