北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

教育において国際化が進むとどうなるか.デンマークのとある学校の場合.



娘が2014年夏から通い始めた学校セントヨセフ.デンマークでは3%ほどしかない私立学校で,カトリックを母体としている.それまでは,デンマーク語のクラスのみのデンマーク学校だったのだが,2014年からバイリンガルクラスが開設された.それも,数年で帰国する駐在が多数を締めるインターナショナルスクールとは異なり,現地で長期的に暮らすことを前提としている子供向けだ.つまり,デンマークで生活しつつ,より国際的な環境に置きたいと考えている子供が集まっている.片親がデンマーク人以外の夫婦の子供,つまり我が家の子供のような家族が多いと思いきや,実際にバイリンガルクラスの顔ぶれをみてみると,両親がデンマーク人,両親が非デンマーク人が合計で半数強ほど,半数弱が我々のようなハーフの子供だった.長期滞在を考え,より社会に溶け込もうとしている外国人が多いのは,最近のデンマーク社会というか国際社会を反映しているようだ.デンマークは,自国を離れ,永住するつもりでくる外国人も多い.私にとっては非常に不可思議な傾向だが,(戦争や経済不安などで)自国を離れる人にとって,デンマークは,比較的外国人として住みやすい国なのかもしれない.


バイリンガルクラス開設1年目ということもあり,様々な困難があることは予想されていたが,保護者の間での不安がちらほら聞かれるようになり,1年目も最後に近づいた今になって,保護者及び先生,バイリンガルクラスのリーダである米国人のトーマスとの緊急ミーティング(コーヒー会などと名付けられていたが)が朝の総会の後に開かれた.

皆がいうのは同じで「きちんとコミュニケーションをとってほしい」だった.だが,その意味するところは明らかに違う.デンマーク人の教師は,父兄のイントラにメールを書いて掲載している.だから自分は義務を果たしているという.しかしながら,英国人のレイチェルからしてみれば,メールで「子供たちはよくやっています」ではなくて,もっと詳細を知りたいという.そもそも,私からしてみれば,わざわざ日常生活の,業務プロセスの外枠にある学校イントラにわざわざ頻繁にログインして,書類をチェックするなど面倒臭いことは毎日の忙しい生活のなかで,頻繁にできることでもない.というよりも忘れる.また,レイチェルがいうように,せめて今月は「一桁の足し算を勉強する」ぐらいの粒度の計画や報告はしてほしいと思うし,授業で足りてないところは家でカバーさせたいからこそ宿題がないのは理解に悩むところだ.だが,デンマーク的には,幼稚園クラスで宿題がないのは当然で,すべきことは1年生を始めるための準備.つまり,必要な時に筆箱を出すこと,きちんと座ること,言われたことを守ること....

議論がすれ違っていることがわかっている親もいるが,明らかにデンマーク人教師はわかっていない.「厳しくする」という言葉の意味も違うし,「授業の準備をする」という言葉も文化によって異なる.英語が話せるから,それなりに海外のことも理解しているように思われがちなデンマークだけれども,一般レベルでは,海外に行ったことがない人もいる.また,海外で生活せずに「デンマークの常識は,海外での常識とは違うことがある」ことをからだで感じることは難しいだろうと思うのだ.ただ,担任のデンマーク人教師は,デンマーク人教師としては非常に優秀であることはわかる.問題は,異なる期待値を持つ親にきちんと説明するには,国際経験が不足しているようだという点だ.

ミーティングでの意見を聞いていて,いかに社会に根付かざるをえない教育,特に初等教育という場で,国際化を進めるのがいかにチャレンジングなことであるか改めて考えさせられた.なにしろそれぞれの親の期待値や想定が全く異なるからだ.それは,誰が悪いというよりかは,異なる文化を持った人たちが集まるところでは避けられない,常識の違いから発生するしょうがないことなんだろうと思う.

ただ,セントヨセフは,デンマークに住む人はデンマーク人化しろというIntegration政策的ではなく,しかしながら,社会から乖離する存在ではない新種の子供を育てようとしている.デンマークに住む外国人が,その各々の文化やルーツを誇れる教育を施そうとする姿勢が,新しい.外国人の親として,デンマーク人じゃないことを引け目に感じなくて済むから,セントヨセフは非常に居心地がいい.トーマス始め,バイリンガルクラスの担任,セントヨセフのチャレンジが,我が子のためにも,自分のためにも....ぜひうまく進んでほしいと思う.