北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

博士号を取得すること

今まであまり広く語ってはこなかったけれども過去13年所属した大学で味わった辛酸は、色々とあった。それでもよかったことはある。その一つが、博士号を取得したこと。

デンマークに来たばかりの私にはデンマークの博士プログラムの仕組みはよくわからず、しかも、新しい大学だったから多くのことが「初めて」であった。ゆえにか、前例がなくても、意外と提案すれば交渉次第でなんでもやらせてもらえた。そんなゆるい大学なかったら、博士号の習得を最後までしなかっただろう。その意味で、デンマークの母校(?)には感謝している。

 最近、友人と話していて、「博士を取ってもしょうがないよね」と言われた。彼女は博士を最後まで終わらせなかったクチだから、彼女の気持ちを慮ってか無意識のうちに「そうだよね」と言ったのだけれども、正直、博士をやめないでよかったし、取ってよかったと思っている。

博士号を取得しても大学に残って研究し続ける人ばかりではないし、博士を取ったからといって急に素晴らしい研究をできるわけでもなければ、聖人君子でもない。民間で働く人もいれば、私のITUの友人のようにヨガの先生とか全く関係ないことをする人もいる。外目から見たら博士号が意味なく思えることもあるんだろうし、もしかしたらそれが大半かもしれない。博士課程取得者の就職率が悪いとかって、日本でもデンマークでも問題になっていたりもするから余計に社会問題視されることもある。

けれども、自分にとっては、博士号を取得するために訓練されたことは、今の自分の思考や執筆や行動の基盤になっていることがよくわかる。たとえ大学で研究を続けなかったとしても、自分の人生には役立っているし、それだけじゃなくて社会貢献というか仕事を通して民間でも評価されているんだろうと思えることも多々ある。

博士号を取って思うのは、多くの場合、博士号は単に通り道に過ぎないということだ。人生において博士号を持ってる必要はないかもしれないが、その通り道を通らないと、見えないことや存在さえ知らない場所もある。少なくとも博士号を考えている人は、それなりに考えてその場所に飛び込んだはずだ。最後までやり通すことで意味がないかどうか論じて欲しい、と、補習学校の卒業式に参列しながら考えていた。