北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

運のいい男

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今、デンマークの映画館で絶賛放映中のLykke Per(Lucky Per/運のいい男(直訳は「ラッキーなPer君」だけども)。義理父がコペンハーゲンに一泊した時に、「よかったから観てきたら?」と勧めてくれて、子供を義理父に任せて夜半の映画館に行った。ポスターは、8月末ぐらいから街にあふれていて、雰囲気の良さにちょっと惹かれてはいたのだけれども、特にピンとくるわけでもなく、こんなチャンスがなかったら行かなかったかもしれない。感想?めちゃくちゃよかった

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 はっきり言って初めは乗り気じゃなかった。デンマーク映画は基本暗いし、しかもデンマーク語なんで一作観るだけで通常は疲弊するかストレスがたまることが多い。カジュアルなコメディ映画はそれはそれで用語が難しいし、真面目な映画はもちろん難しい言い回しをこれでもか、と使う。ちょっと学術的な表現や哲学的な表現が好きなデンマークの映画界だから特に。しかも、定期的に訪れるデンマークのマイナス面に目が行きがちな時期にちょうど当たっていて、「行くわけない!」とダンナに言ったのだけれども、すでにチケット購入済み。半分ヤケになって映画館に向かった。

旦那が教えてくれたところによると、Lykke Perデンマーク文学の古典文学の一つで、デンマークでは結構知られている物語。あとで、Lucky Per - Wikipedia で確認したところノーベル文学賞受賞者であるHenrik Pontoppidan氏が1898年から1904年の間に執筆した8冊の長編だそうだ。物語はこんな感じ。

デンマークユトランド半島に住む貧しく敬虔なキリスト教信者の両親に育てられたPer Sidenius(ペア・シデニウス)は、エンジニアになるべく工業大学で勉強するためにコペンハーゲンに行くことを決心する。そして多分親に神の道ではなくてエンジニアとは!と反対される(ちょっと不正確かも)。ちょうど産業化が進み多くの人がコペンハーゲンに出てくる一方で、都市の貧困が目立ち始めていた時期(なんだろうと思う)。Perはおそらくとても優秀な頭脳を持っていて、ゆえに風力発電のアイディアを考えついた。だが、大学で教授に話しても埒が明かない。石炭に比べ格段に自然に優しい風力発電を実行に移したいと投資を受けるべくユダヤ人富裕層のPhilip Salomonに話しかけたところ、時期を置いて親密になり、富裕層コミュニティに入り込むようになる。政治的にまたアカデミアの重鎮たちと話す機会なども得られるようにな理、さらに、次第にPhilipの才色兼備な妹Jakobeにも惹かれるようになりお互いに気持ちを打ち明けあうようになる。途中までは逆玉の輿シンデレラストーリだ。だが、順調に思える研究と私生活も、結局は続かない。

何がこの映画で興味深かったかあえて挙げるならば、20世紀初頭のコペンハーゲンの様子がとても丁寧に描かれているところだろうか。街中に転がっている浮浪者やドロドロの子供達、窓から窓に洗濯ロープをかけて下着や服をを干している様子、その一方でレストランやカフェ巡りをする富裕層の生活との明確な格差。今のコペンハーゲンの建物で通りも同じだけれども、同時にもう見られない100年前の生活や社会の様子が生々しく描かれる。今の町並みは100年前の町並みをそれなりの努力のすえ保存しているんだろうけれども、在住者にとっては生活の一部だ。そんな生活の場が、20世紀初頭風にアレンジされている所が在住者にはたまらない。知っている町並みであるがゆえに、生活の仕方や町の雰囲気にこんな違いがあったのかと考えさせられて楽しかった。おそらく、コペンハーゲンの夏の時期に朝早く撮影したんじゃないかと思うんだが、あれだけのシーンを本当の町並みを使って撮影していると考えただけでワクワクする。また、生活の様子や服装なども興味深い。以前に読んだ不潔の歴史(デンマークは汚かった?! - 北欧生活研究所)の描写がありありと浮かんで、Perの白いシャツの襟元がとっても汚い点や子供が泥だらけになって遊んでいる姿や洗濯物が干されている街並みのシーンで一人感動していた。

 

当時のデンマークキリスト教の存在がとても重く苦しいこともひしひしと伝わってくる。Arn(ヴァイキングの時代 - 北欧生活研究所)を見たときも思ったことだけれども、Perにとって、また多くの当時のデンマーク人にとって、キリスト教は救いをもたらしてくれるものというよりは、毎日の生活に制約を課し、自分の至らなさを毎日認識させられ、苦しみをもたらすものでしかなかったことがわかる。親は子供への愛を注ぐ代わりに、デンマークキリスト教的な生活をしない子供を罰したり、新しいことにチャレンジすることから遠ざける管理者でしかなかった。これは、私の理解するキリスト教とはだいぶ異なり違和感を覚えるが、この映画を見ることでデンマーク人のキリスト教へのアレルギーをも理解できる気がした。ある意味、この時期には、厳しく質素なキリスト教は北欧では必要なことだったのかもしれない。けれども、今を生きることを否定する宗教の教義に疑問を呈し、北欧の人が70年代に宗教を「もういらない」とそっぽを向いた理由がとてもよくわかる気がする。宗教の存在がこんなに苦しいものだったら確かに反対に大きく振れても不思議じゃない。

 

最後に、自分勝手な北欧男の姿もこの古典には健在だ。

 

宗教の制約もまだ大きく、また身分の違いに関してもおおっぴらに話すことのできない時代だっただろうに、この物語が、100年前に描かれたということにただただ驚きを感じる。