北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

コロナ禍のレミセ公園に行ってみた

f:id:jensens:20210201040851j:image 新聞の記事で、去年の秋頃にAmager(アマー)にあるレミセ公園に新しい巨人が登場したことを知った。この「おしゃぶりトロール(Suttetrolden)と名付けられた巨人は、すでにコペンハーゲンエリアにある廃材トロール作品の最新版だ。アーティストのThomas Dambo氏が廃材をかき集めて作っている巨大トロールは、いつの頃からか注目されるようになって、私もいくつか探しに行った。街の片隅に突然現れる巨人の姿は壮観だ。子供が登って楽しめるぐらいの巨大なトロールで、本当は私も登りたいのだが、いつも子供でいっぱいなので憚られる。まぁ、おそらく、大人が乗るべきではないんだろう。

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最先端の研究が伝えるバイリンガル教育の鍵

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バイリンガル教育にとって、大切ないくつかの「鍵」がある。言語学の中でも多言語教育を専門にしているソフィーが言うには、最も重要なのは、言語を混ぜないこと。

例えば我が家は、日本人の私、デンマーク人の夫、娘と息子の4人家族だが、私と夫は英語、私と子供は日本語、夫と子供はデンマーク語で話す。一つの屋根の下の一つの家族間では3つの言語が飛び交っている状況だ。この状況自体は特に問題はない。今や多くの人が多言語環境で生活している。さらに最近の言語学では、多言語話者は認知症にもなりにくいことがわかっているとかで、高齢者に外国語を教えて言語中枢を刺激するという実験が行われていたりするらしい。インテンシブコースを受けることで70代の高齢者でも能力が向上し、さらに1週間に5時間以上取り組むことで、言語の維持・向上が望めるという。

「混ぜてはいけない」というのは、相手によって話す言葉を限定する(環境によって言語を特定する)ということらしい。つまり、私は、子供に話すときには日本語に限定すること。子供に、日本語で話したり、デンマーク語で話したり、英語で話したり、その時々によって変えるのはよくないということだ。自宅では日本語を話し職場では英語を話すということも同じだ。以前から言語は混ぜてはいけないということは聞いていたし、私は職場でも英語環境だったので日常生活(夫との会話も)は英語が中心で、子供との会話には日本語をつかっていた。時折しか使わないデンマーク語は、正直なところ子供と話したいと思えるほど上手ではなかったので、それなりにうまくいっていた。

ただ、この1年ほどで状況が変わってきていた。まず格段に子供のンマーク語が流暢になってきた。さらに、私のデンマーク語が向上してきたのか慣れてきたのか、夫と子供の会話にデンマーク語でちょっかいを入れることができるようになってしまった。さらに、子供の英語が向上してきたことで、子供が親の会話に介入してくるようになった。

今現在の家族の会話は、一つの会話で英語とデンマーク語と日本語が入り乱れている状況だ。例えば昨日の夜はこんな感じだった。デンマーク語での親子の会話に私が介入することで、娘が英語にスイッチし、息子も英語で考えを述べる。ただ、息子は言いたいことを言い切れずにデンマーク語にスイッチして、私がその息子にデンマーク語でコメントを言う。

言語の専門家ソフィ曰く、子供のバイリンガル教育には、一貫性が必要だという。科学的研究で、子供にとって、(複数であったとしても)母語を育てることが大切であることがわかっている。そして、コンテキストではなくて相手により言語をスイッチするので、一人の人が複数の言語を混ぜないことが重要だということが証明されているのだそうだ。つまり母親がその時々に応じて使う言語を変えるのは、子供にとって母語を構成したり言語を学ぶにはマイナスにしかならない。それが事実だとすると、母親が子供に英語を学ばせたいと考え、日本語と英語を混ぜて話しかけるのは最悪の学習法だ。子供の脳がキャパオーバーになってしまうのだという。日本の環境でマルチリンガルにしたいのであれば、母親は日本語を貫き、学校(先生や友達)を多言語環境にするのがいいのだろうと思う。

バイリンガルではない私にとっては、多言語環境はもう少し複雑だ。最近、私の言語能力が格段に後退しているように感じることが増えてきた。デンマーク語は少し伸びているかもしれないが、英語の文法が乱れボキャブラリーが貧弱になる、言葉や文章が出てこない。そして、日本語も同様で、シンタックスがおかしくなったり、文章が時折出てこなくなる。文章を読んでいても書いていても似たような状況になり、まだ高齢者には早いのに脳が働かなくなっているような恐ろしい感覚を感じていた。

成人の脳も繊細だ。人が複数言語を扱う場合には、それなりのケアが必要で、せめて1日もしくは数日間その言語に注力することが、言語能力を維持するためには不可欠である事が研究からわかっているんだそうだ。つまり、脳のオーバーロードを防ぐためにも1日に複数言語を扱ったタスクをすることは望ましくないのだという。日常生活において言語をスイッチし続けなくてはいけない状況に長期間置かれると脳がキャパオーバになってしまう。

そこまで聞いて、ここ1ヶ月ほど私がやってきたことはどうやらよくないことがわかった。学生に合わせてデンマーク語と英語を行き来し、論文執筆で英語と日本語を行き来していた。戦略的に言語を選択して使っていかないと効率が下がるという科学的な知見が経験則でも証明された形だ。「あなたが、この数日間体調が優れないとか、疲れているように感じるとか、全く不思議じゃないわ。どう考えても脳に負荷を与えすぎてる」とソフィアに言われて、改めて仕事の仕方を考え直さないといけないなと思わされた。

言語学では、マルチリンガル言語能力の獲得の方法多言語能力の維持方法として常識となっていることでも一般的に知られてないことはまだまだ多い。

 

 

異文化の分かり合えなさは永遠に続くのか

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しばらく悩み続けていることがある。親切心であることがわかるから受け入れたいのに、私の心はギョッと反応してしまうことに関してだ。そして、私は自分の心の狭さに驚き、自己嫌悪に落ちるのだ。

ちょっと前に、「ファスト&スロー」という書籍でダニエル・カーネマンというノーベル賞を取った認知心理学者が注目された。この人の理論の一つに、人はシステム1とシステム2思考に基づくというものがある。速い思考であるシステム1は直感や感情のように自動的に発動するもので、日常生活のおおかたの判断を下している。一方、遅い思考のシステム2は熟慮のことで、意識的に努力しないと起動しない。システム1の判断を退けてシステム2を働かすのは、多くの人にとって難しい。

最近考えることというのは、「文化的な要素も、私たちの体には、システム1として埋め込まれるのだろうか」ということだ。

もしあなたが日本人であったり、日本で生まれ育った人だとしたら、次のことをちょっとイメージして見てほしい。

Q. あなたが、恋人から白い菊の花束をプレゼントされたらどう思いますか。

Q. 誰かが白いシャツに黒いネクタイをしてディナーや会合に出てきたらどう思いますか。

 最近、私は、とても近しい人から菊の花束をもらった。一瞬ギョッとして表情がこわばったのだろうか、即座に「素敵な花束ありがとう」の反応ができなかった。ニコニコと「これデンマークの季節の花なのよ、すてきでしょ?」と暗に感想(お礼?)を促されて、「あぁ、素敵だね。ありがとう。」というのが精一杯だった。その後1週間ほどダイニングに飾られたその菊の花束を見るたびに私の心は一瞬ギョッとする。

もちろん、デンマーク生活が16年目になる私は知っている。デンマークでは、白菊になんの意味もないこと(花言葉は「真実」らしい)、黄色の菊にもなんの意味もないこと(花言葉は「敗れた恋」)。そして、黒ネクタイは、ファッションコンシャスなデンマーク人のマスト・アイテムにすぎないこと。

16年も住んでそんなことにいちいちギョッとするのをやめようよ、と自分に言いたいが、残念ながら私の体は反応してしまう。そして、理知的な私が出てきて、「デンマークではそれはなんでもないことなんだ」と語りかけてくれる。私は、いつか変わることができるのだろうか?白菊を見て、ギョッとする以前に、理性的に「日本では仏花、でも、デンマークでは秋の花」と考えられるようになるのだろうか。

私の旦那は、知識として白菊が仏花であることを知っていて、理性で判断する。だから、私に白菊の花束をプレゼントをすることはないだろう。だが、私と同じように白菊をみてギョッとすることはないのだと考えると、我々の感覚の間に横たわる大きな壁というか谷間に改めて気づかされる。

デンマークで一時期問題になったムハンマド風刺画問題は、今フランスでも再燃している。欧州の人たちは「表現の自由」を声高に訴える。その気持ちは理性としてはわからなくもないが、異文化の中で生活をしている私は、イスラムの人たちがギョッして息がつまる気持ちの方も痛いほどよくわかるのだ。理性の前に嫌悪がくる。欧州人は、理性的に考えて「表現の自由」を主張するが、人は直感や感情もある。心理的にどうしようもない気持ちが湧き上がるということに、意識が向かないのだろうか。人が嫌だと言っていることを「表現の自由」という言葉であえて表現しようとするその理由が、私にはやはり理解できない。

卑近な例で恐縮だが、私は、旦那から例え愛情たっぷりでも白菊の花束をもらいたくないし(別の花束にしてくれ!)、黒ネクタイをするかっこいいデンマーク男子を前にかなり引いてしまう自分がいる。

『ユーロビジョン歌合戦』を薦める理由

Netflixのお馬鹿映画、『ユーロビジョン歌合戦 〜ファイア・サーガ物語〜』(Eurovision Song Contest: The Story of Fire Saga)が面白かった。

youtu.be

ユーロビジョン・コンテストは、1956年から欧州で開催されているソングコンテストで、国の代表者がコンテストに参加し、国同士の戦いが繰り広げられる。かつてABBAが参加していたことで、私も名前だけは知っていた。北欧に住んでいて一度もきちんと見たことがなかったのは、一度見たときに、デーモンなんかが出てきたりして、なんだか仮装コンテストみたいなこと、めちゃくちゃ舞台が派手で食傷気味になってしまったから。

でも、この映画は面白かった。ユーロビジョンが好きな人も楽しめると思う。

舞台はアイスランドの田舎町。ユーロビジョンコンテストに出場を夢ている「ファイヤー・サーガ」のラースは、両思いだけれども一歩進めないシグリットと一緒に、ユーロビジョンコンテストに出場できることになる。どうしようもないラースのパパがピアース・ブロスナンだったり、ド派手なロシア代表がセクシーすぎたり、美男美女がたくさん出てくる映画で、ちょっとした息抜きにぴったりだ。そして、要所要所にとても北欧っぽい雰囲気にあふれている(米国映画だけれども)。

ここからちょっとネタバレ。

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「鮨あなば」にいってきた

 

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鮨あなば:カウンター8名限定だ

あのコペンハーゲンの超有名寿司屋『鮨あなば』にいってきた。予約を取ろうと思い立つときには、毎回ウェイティングリスト待ちしか残ってない。日本で食べる方が断然美味しいことには変わりないだろうし、頑張って予約するまでもないかな、と思い続けていたけれども、縁あって行く機会に恵まれた。

正直な感想を言おう。

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2020年夏Vol.3: おいしいレストランに行ってきた

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La Table de Kamiya

自宅待機期間になんだか手持ち無沙汰で、Twitterをよく覗いていた。その時によく見かけたのが、料理を教えてくれるレストランのオーナーシェフ美味しいチョコレートを作るパティシエのツイート。こんな時だからちょっと時間かけて美味しいものとか作ろうかなとか、皆が思っていた時期なのかもしれない。プロの調理人が惜しげもなく自分のレシピを公開していたり、突然オンラインクッキング講座を始めたり、ちょっとした面白いカオスが繰り広げられていた。

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2020年夏Vol.2: ボルドー旅行の勧め

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ワイン畑があちこちに広がる

ワインを飲むようになってから、ボルドーがずっと気になっていた。新大陸より欧州、イタリアよりフランスのワイン。ブルゴーニュよりもボルドー。心をがっつりつかまれるような深い濃い色と渋みの強いボルドーワインの味。年を重ねたワインは余計に味が出てくる。口の中でずっと大切にしておきたいような丸みを帯びた不思議な感覚に変わる。結婚式のワインにと大好きな義理の父が選んでくれた結婚パーティの赤ワインがサン=テミリオンのシャトーワインだったのも何かの縁かもしれない。これは、秘密だけれども、昔付き合ってた人はボルドーワインが大好きだった。だから私の中では、ボルドーワインは、大勢で楽しむのもいいけれども、一人でグラス1杯ちょっと夜が濃くなった時間に飲むのも悪くない。

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