レジスタンス・ミュージアムに行ってきた
コペンハーゲンでも有名な観光名所、カステレットの横に、「Freedom Museum」がある。デンマークがナチスドイツに占領されていた1940-1945年の間の抵抗運動の軌跡を記録している美術館だ。2013年に建物が火事になり焼失したのをきっかけに、新しい建築で生まれ変わった。以前より気になっていたんだけれども、コロナ禍で美術館行きがちょっと面倒だったこともあり、訪問まで至っていなかった。このところ風邪をひいて1週間ぐらい死んだ様な生活をしていたのだが、天気もよく少し外に出てみようと思って、選んだ場所がこの美術館。
美術館本体は地下に造られていて、陸上に出ている建物部分は、筒のような建物の姿だ。蔦が這うような造りになっていて、今後5-10年かけて建物全体を緑の蔦が覆うようになるんだろうと考えると、経過をも楽しむデンマーク建築の粋が羨ましく思える。
入り口でチケットを購入し、中に入ると展示に使う音声ガイド機器を渡された。音声ガイドをQRコードにかざすとガイドがアクティベートされて、展示画像・映像が起動する。音声とガイドは連携していて、映像に沿って音声が聞こえてくる仕組み。映像エリアから離れると音声も聞こえなくなる。システムは最新式で手が込んでいるし、ガイドも単なる状況説明にとどまらない。時にはデンマークお得意のストーリーテリングが始まり、その場でひとり語りの舞台が始まって飽きさせない。レジスタンスたちの声を吹き替えている音声タレントたちもなかなか迫真の演技で、映像を見ながら耳元で語られるとドキドキしてくる。
展示は、地下エリアに広がっていて、音声ガイド(英語・デンマーク語)を全部聞きながら、抵抗運動の歴史を辿ろうとすると、正味4時間コースらしい。準備された資料はとてもリッチな内容だ。非常にシンプルな展示とも言えるのかもしれないけれども、もしカステレットに遊びに行く機会があれば、ざっと見に行って欲しい。おすすめだ。建物を出るときには、戦争のない世界って素晴らしいと改めて思えるから。
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未来の図書館の姿:Copenhagen Central Library
Copenhagen Central Library(コペンハーゲン市中央図書館)は、1885年までその起源を遡ることができるコペンハーゲン市図書館群の中央図書館である。
1885年に6館2室(読書室)から始まったコペンハーゲンの図書館は、現在では、中央図書館および地域の20館からなる図書館ネットワークで構成されている。1885年当時は、王立図書館と大学図書館が知の聖域として認識されており、一般市民が気軽に書籍を手に取って知識を得る場所は限定されていた。当時、文化の先進地であったパリやベルリンを参考に、地方自治体によって公共図書館が整備されるのが決まったのだそうだ。
しかしながら、現在に比べると、図書館の利用には大いに制約があった。16歳以上であること、貸し出しは1冊のみ、そして月額15øre を支払うこと。 その後、1913年に図書館制度改革が進められ、全ての市民が図書館にアクセスできるようになり、1947年にはさらにサービス対象が拡大され、高齢者や障害者など自分で図書館にアクセスできない人たちのために、図書館側からアプローチするという試みが進められるようになった。
1957年には、現在の立地に移り、5,610 m2の広さを誇るスカンジナビア初の総合図書館として、デンマークの首都コペンハーゲンの市民のための図書館として機能することになった。吹き抜けの広がる開放的な図書館には、勉強部屋として利用する人もあれば、新聞や雑誌を読みに訪れる人もいたし、記録からは暖を取るために利用したという人もいたことが読み取れる。その頃から、コペンハーゲン中央図書館は、民主主義を体現する場所として、そして文化の伝達のために大きな役割を果たしてきた。
新しい図書館像
この古い歴史を持つ本図書館は、2010年ごろに大きな変革期を迎えることになる。蔵書は増加する一方で利用者の減少は顕著だった。デンマーク国内では、国民の国語力の低下が指摘され、特に若者は本を読まなくなっていることが問題視された。調査結果から、本を読まなくなるきっかけは、4歳までに形づくられる(Early Catastrophe)といわれ、図書館の責任、図書館の役割が改めて問い直される機会が生まれた。 そこから、図書館の変革が始まる。
新しい図書館の役割が模索され、その後、2014-2019年計画が実施され、新図書館像を模索するプロジェクトが次々に実施されていくことになる。プロジェクトでは、インタビューや統計データといった定量定性データに基づき、また、市民など利用者や関係者からの意見が集められ、新時代の図書館戦略が議論されていった。そこから抽出されたのは、図書館は、単に本を蓄積し貸し出す場所という今までの位置付けから離れ、生涯学習の場”Life long learning”であるという位置付けが鍵になるという点だ。つまり、図書館は、埃を被った本が並ぶ場所ではなく、さまざまな情報を得られる場所であり生きるための学習する場所となっていくと定義したのだ。単なる書物を蓄積する場所でなく、余暇に人が活動するための場所と位置付けられたのだ。
(様々な意見を集めるボードは今も健在だ)
この新しい図書館の定義を基盤に、積極的に文化イベントが開催され、ITカフェが開催され、著者との対話会が実施された。コペンハーゲン図書館の図書館員によると、今、図書館の競合は、Netflixなんだそうだ。
図書館員の新しい役割
変革の時期を経て、図書館員の役割も変遷していく。今までは、専門職として図書館員は図書のことばかりを行なっていたが、今後は、デジタルも基礎能力として備えている必要がある。デジタル部門の人に全てを託すのではなく、全ての人員が、フィジカルとデジタルの両図書館機能を担当することになるという新しい図書館司書の役割が明示化されることになった。2014-2019のプロジェクトにおける様々なアクティビティを受け、デジタル化を進めながら、図書館としての役割を超えて、公的組織の市民との架け橋として、また子供・市民の教育機関として機能することが求められることになった。また、サービスデザインのコンセプトを採用し、図書館(情報センター)の運営を行うことが求められた。中央図書館は、全国に散らばる図書館の中心的存在であり、中央図書館が先陣を切って変化をすることが求めらたのだ。
現在の中央図書館
現在の図書館は、1階は市民センターの受付があるほか、オーディオブックや図書館員のデスクがあり、時にはテーマ展示が並ぶ。2階には子供向けの書籍、3階にはコピー機や無料でパソコンが使えるゾーンがあり、4階には学習エリア、5階には外国語の新聞などが置かれている。
(図書館内の片隅に控える市民サービスコーナー)
図書館内部のマインドセットの転換
中央図書館内部のマインドセットの転換、DXの推進はトップダウンが大きく影響したといわれている。始まりは、2014年。政府の予算削減、図書館の再定義の圧力を受け、外部から図書館関連の知識はあるが図書館員ではない管理職が移動してきたことによる。 コペンハーゲン市から送られてきた管理職員たちは、図書館員のマインドセットの変換のため、いくつかのプログラムを実施した。ここでは、2つのプログラムを挙げる。
教育プログラム
例えば、教育プログラムである。年に8-10日の教育プログラムが全ての図書館員に毎年提供されるようになった。図書館員は、地方自治体サービスを提供するための教育を受け、図書館での市民サービス(パスポートや免許証の発行など)を実施するようになった。また、市民へのサービスを学ぶことを目的とし、Tivoli(デンマークの有名なアミューズメントパーク)の専門家のコンサルテーションを図書館員全員が受けたこともある。他にもサービスデザインのプログラムが提供された年もある。このような毎年の試みを通じて、現在の常識になっているサービスマインドや3メートル理論などが、図書館員に認識され根付くようになっている。
*3メートル理論:3 meters theory 自分の3メートル以内のものは全て自分の担当である。
物理的スペースの再デザイン
(デジタルツールや展示、アーティファクトを活用している)
マインドセット転換の為、物理的なスペースを変えることから始めた。場所やエリアの構成を変えることで、図書館員や市民のマインドセットを変え、行動変容を促していった。この方法は、行動経済学系の倫理課題と一致し、倫理的に適切かどうかきちんと考慮される必要がある。 このようなプロセスを経て、現在の図書館は、本を貸出す場所(Transaction)から、関係性を生み出す場(Relation)に変わっていき、そしてそのようなマインドセットを担当者の人たちの心の中にも植えつけていった。図書館員の言葉を借りれば、図書館は”Move from transaction to relations.”である。
(作家との交流や対話会の会場も図書館の中にある)
現在、中央図書館は、年間400万人が訪問し、最も多くの文化イベントが実施される場であり、人の集まる場所として、多くの新しい試みが実施されるリビングラボとして機能している。蔵書は減少し、多くの図書を含めた文化的素材はデジタルでよりわかりやすく使いやすいようにカタログ化された。書籍や検索カードが置かれていたエリアには、もはや所狭しと並べられる書籍はなく、空間を贅沢にとってテーマに沿った図書展示やマテリアル展示がされているのも特徴的だ。物理的な図書館エリアは、読書を促し、仕事を促進させるような環境づくりに努め、また、文化的活動が実施されやすいような空間づくりがされるようになっているのだ。
葬式や命日をする理由
先日は大好きな伯父の月命日だった。コロナ禍の期間に亡くした親戚は2人目となる。祖母の葬式にも伯父の葬式にも、何があっても駆けつけるはずだったのに、コロナに阻まれた。飛行機はあった、旅費だって捻出すればどうにかなったはずだ。ただ、3日間のホテル監禁と14日間の自宅待機で、2日後のお通夜にもお葬式にも間に合う見込みはなかった。
数日の間、私もお通夜に行ってお葬式に参列して、親戚の皆と祖母について伯父について話したかった、と事あるごとに考えていた。でも、それは、祖母や伯父のためなんだろうか?私が、他界した親戚の思い出を皆で語り合いたかったのは、なぜなのだろうか。
続きを読むデンマークのヤンテの掟
デンマークが大好きだ、北欧文化に関心があるという日本人と話をすると、時折「ヤンテの掟」が出てくる。多くの場合、「ヤンテの掟」は、北欧人は謙虚であるというポジティブな文脈で紹介されることが多い。デンマーク(北欧人)の価値観として紹介されることも多く、今の北欧諸国の高福祉政策や平等社会の実現に寄与した要因として捉えられていることも多い。
北欧に住んで16年、このポジティブな捉え方にはずっと違和感を感じていた。どちらかといえば、ヤンテの掟に描かれているのは、今のデンマークにはない美化されすぎた道徳的なイメージ、もっと言えば、現在のデンマークには見られなくなりつつある(1930年当時の)キリスト者的な清貧と倫理の思想と当時の(宗教)コミュニティの同調圧力だからだ。私がそこに見てしまうのは、中世の魔女狩りや異端審問だったりする。
デンマークのキリスト教に関しては「デンマークのキリスト教は好きになれない」で以前にも書いたが、非常に抑圧的で人々の精神生活に入り込んで生活の規範になっていた側面が強く、今の自分が生活をするデンマークから受ける印象と一線を画す。
ヤンテの掟
ヤンテの掟とは、Wikiから要約すると、デンマークに生まれのアクセル・サンデモーセのノルウェー語小説『逃亡者はおのが轍を横切るEn flyktning krysser sitt spor』(1933年初版)に挿入される「ヤンテ(ヤンデ)の掟(Janteloven)」と呼ばれる10箇条の禁忌を示す架空の戒法である。その10項目とは次のようなものだ(同じくWikiより)。
自分がひとかどの人物であると思ってはいけない
自分が我々と同等であると思ってはいけない
自分が我々より賢明と思ってはいけない
自分が我々より優れているという想像を起こしてはいけない
自分が我々より多くを知っていると思ってはいけない
自分が我々を超える者であると思ってはいけない
自分が何事かをなすに値すると思ってはいけない
我々を笑ってはいけない
誰かが自分のことを顧みてくれると思ってはいけない
我々に何かを教えることができると思ってはいけない
デンマークを形作る現代の思想
ポジティブな印象を持って語られるこのヤンテの掟に対してデンマークで生活している私が感じるのは、70年代の大きな社会変革が起きる前にデンマーク社会に蔓延っていた均質性への固執であり、相互抑圧的な価値観である。もちろん100年近く経っているとはいえ、同じ国であるから根っこに合い通ずるものはあるのだろうし、時折(特に高齢者の行動に)ヤンテを思わせる行為がなくもないが、ヤンテの掟をよりどころにして北欧を論じるのはそろそろ終わりにしてもいい。
2016年末には、当時文化相バーテル・ハーダーの旗振りで「デンマーク社会を形作る10の価値観」が作られている。Foreningやボランティア活動、自由、男女平等などが挙げられており、個人的にもよっぽどこちらの方が今のデンマークの価値観を形作っていると感じる。ちなみに、市民の意見を聞いて作られたはずの「10の価値観」であるが、市民からは賛否両論で新しい「10の価値観を作ろう」とする動きが見られたりするし、広く合意されているわけではないようだ。ただ、遡ること数年前、同様の「ヤンテから脱してもっと積極的なメッセージにかえよう」との主張が女王マグレーデ2世からも発信されていることを考えても(Wiki)、「ヤンテの掟」が日本で一人歩きしている状況は、やはりどうにかする必要があると思っている。
デンマークには「ヤンテの掟」っていうのがあってそれがデンマーク人の行動規範を形作っていると偉そうに説明する人がいたら、なんちゃってデンマーク通だと疑ってかかると良い。
北欧のミライの図書館
図書館訪問記
雄大な景色を見た時に感じるあの感情はなんなのだろうか
雄大なノルウェーの雪に覆われた山々、断崖絶壁のフィヨルド、目の前にそんな大自然を見たときに、ちょっとした寂しさを伴う感情を覚える。あの、ちょっとした寂しさを伴う感情はどこから来るのだろうか。悲しいわけではないはずだけれども、ちょっとした寂寥感を覚えて、大自然を見ながら涙が止まらなくなることがある。
Clubhouseの人気からもわかるように音に関する注目は最近富に高まっているが、少し前から音が人間に与える影響なども研究が進んでいる。Julian Treasureによると、海の波のさざなみは、人間の睡眠時の呼吸のリズムと同じなんだという。だから、波の音を聞くと人は安心感を覚える。人が鳥のさえずりを気持ちよく感じるのは、鳥がさえずっているということは危険が迫っていないことを示しているからで、それを私たち人類は本能的に理解しいているのだという。私たちは、日常生活で、鳥がさえずっているから平穏だなとか、波の音は眠っている時みたいで安心するなとは、意識して思わないだろうが、音は確実に人間に影響を与えている。
この話を聞いてから考えたのは、聴覚に与える影響が人間の考え方や健康や感情に影響するのであれば、視覚から受ける影響も、同様にあるのではないかということだ。
自然を見た時に感じるあの不思議な感覚は、何か私たちにメッセージを届けてくれているのだろうか。自分では認知し得ないDNAに埋め込まれた何らかの古代の知恵や経験が、私たちにあの感覚を届けるのだろうか。
スウェーデン王の公然の秘密を知ってしまった
ノルウェードラマの躍進が止まらない。私の中で。
国営放送が作り出すドラマや映画が、この数年次々に公開されている。特にナチスドイツ占領下の物語が次々に公開されている。ノルウェーの誇りを示す物語として国民から人気を博しているということもあるだろうし、時代的にも第二次世界大戦のことがより詳細に語られやすくなったということもあるんだろう。私はノルウェー人でもなんでもないのに、誰も入れなさそうな雪山に突如として白一色のノルウェー勇姿が現れ、ナチスに追いかけられる人たちを救ったり、深い雪山でのシークレット・ミッションをこなすシーンには、感動でいつも鳥肌が立つぐらいだ。ノルウェー人の気持ちはいかほどか。
以前にも紹介した「Kampen om tungtvannet (重水の闘い)」もノルウェー魂(?)を感じさせられるドラマだったし、映画「ヒトラーに屈しなかった国王」も骨太な映画だった。ちなみに、重水の戦いは、ナチスドイツ占領下のノルウェーの話、映画「ヒトラーに屈しなかった国王」は占領前夜の物語だ。
2015年NRK(ノルウェーテレビ局)製作のKampen om tungtvannet (重水の闘い)は、ノルウェーテレビ局のテレビドラマ作品だ。第二次世界大戦中、イギリス軍とノルウェー人(イギリス軍に合流)が協力し、ノルウェーのテレマーク地方にあったヒュドロ重水工場の破壊工作を進めた一連の作戦をドラマ化したもの。
そして、この数日ハマっているのが、Atlantic Crossing。またしてもNRK(ノルウェーテレビ局)による2020年製作作品で前述二つの物語と時期を同じくするが(ノルウェーはよっぽどこの時期が好きなんだろう。多分今までのノルウェー歴史のハイライト)、中心人物となっているのは、ノルウェー皇太子妃。ノルウェーがナチスドイツに占領されるという状況に直面して、ノルウェー王とオーラウ(Olav)皇太子はイギリスへ、皇太子妃のマーサ(Märtha)は米国に疎開する。
何が良いかと聞かれると色々理由はあげられるが、なによりも、まず映像が美しい。ノルウェーの雪山、米国の雄大な自然、そして、いままで知らなかったスキャンダラスな歴史が満載なのだ。物語は、「史実にインスピレーションを受けて作られた」と記載されているのであるが、なにしろ物議を起こしそうなシーンが満載だ。
1. マーサ皇太子妃の叔父にあたるスウェーデン国王がナチスのシンパだった
マーサはスウェーデン皇室の皇女でノルウェー王室に嫁いだ。ノルウェーにナチスが侵攻した際に陸路でスウェーデンに入り、ストックホルム宮殿にしばらく避難するのだが、叔父にあたる国王からそして周囲から圧力がかかり、米国行きを考えるようになる。ノルウェー・デンマークがナチスのナチスの侵攻を避けられなかったにもかかわらず、中立国でいつづけられたスウェーデンの秘密がここにあるのかもしれないけれども、これはイッテイイコトナンデショウカ。
2. 皇太子妃マーサは、フランクリン・ルーズベルトと恋仲だった
いやぁ、それはいくらなんでも...。と思ったのだが、Wikiにつぎのような記載を見つけた。
ルーズベルトのマッタへの敬愛の情は非常に深いもので、ルーズベルトにとっては最後の恋愛感情の対象でもあったのではないかと息子のジェームズ・ルーズベルトは述懐している。
これも公然の秘密なんだろうか。
3. ノルウェー王ホーカンの溢れる人間味
もちろん皇室でも人間なわけで、聖人君子というわけではないだろうが、あまりにも人間味に満ち溢れていて、ここまで晒していいのだろうかと心配になった。ナチスが侵攻したばかりのホーカン王、家族やノルウェー首相らと北に逃げるのだが、どうも頼りない。ベッドの向こう側に小さく膝を抱えて座り込み部屋から出て来なくなったシーンには、私が目を逸らしたくなった。
北欧のドラマは、やはり北欧色に溢れていて、こんな歴史物であっても、男女の平等とか正義とか民主主義とか、透明性とか考えさせられるわけです。