北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

デンマークのインター幼稚園

怒涛の一ヶ月がようやく終わりを迎えようとしてる。おそらく。そうなって欲しいというのが、正直なところかも。

今日、息子が、新しい公立幼稚園に入園した。Yosukeが歩いて回り、一番おすすめと言ってた幼稚園に、遠まわりしたけれど、結局入園することになった。新しく入園した幼稚園は、御近所のアルフレッド君が通い、ママのPeggyが太鼓判を押し、しかも日本の友達の「とも君」が通っている普通の公立幼稚園。幼稚園に着いた息子を、名前入りの「Velkommen」のイラストで迎えてくれ、年間予定表を作って、方針が明確な素晴らしい園。息子は、溢れるおもちゃに目を輝かせ泣く片鱗すら見せず、とも君に「はいどうぞ」と日本語で話しかけ、一緒に楽しそうに遊んでいたとの報告を主人から受け、目頭が熱くなった。今までの一ヶ月が夢の彼方に消え去っていってくれているような気がした。実際、この1ヶ月は悪夢の連続だった。
デンマークの公立幼稚園もいろいろある。以前息子が行っていた幼稚園は、ヒップスター両親が揃う都心の幼稚園で、しかも郊外型幼稚園。毎朝バスで1時間かけて、自然いっぱいの園舎に行き、そこで一日過ごす。3歳になる前に、幼稚園に空きができたからと移された息子は、大きなお兄さん、お姉さんに囲まれてちょっと情緒不安定になっていたみたいだ。現在7歳の娘は、息子より活発で、この園があっていたみたいだけれども、息子にあっていたかどうかは今もよくわからない。いずれにせよ、この1月に引っ越した家からは、車で30分。徒歩1分で行ける英語系のインター幼稚園に入園が決まり、嬉々として通い始めたのは、忘れもしない9月28日だった。

 今から考えると、ちょっと変な始まりの状況ではあった。プライベートの幼稚園で、収益が重要だということはわかっていたけれども、費用の話が中心で、教育方針はウェブを見てくださいと言われた。訪問した時には、予定が合わないといって、創立者であるオーナに会うことができず、その後もオーナーに会うことなく、幾つかの書類を交換し、時間が過ぎていった。しばらく音沙汰なかった幼稚園から、連絡が来たのは、8月に入った頃だっただろうか。「9月28日から来ていただくことが可能です。前金を入金してください。スペースを確保します」このチャンスを逃してはならないと、早速、前金を送金し、契約書にサインし、連絡を待った。9月に入っても、入金の確認も、初日の詳細も連絡がなかったので、改めてメールしても音沙汰ない。忙しさにかまけて、とうとう迎えた28日。改めて、連絡きてないよな、と思いつつも、もう先の幼稚園はやめてしまったし、とりあえず息子を連れて行ってみた。ただ、誰も今日から息子が来るということを知らなかったし、ロッカーも準備されていなければ、どこにいっていいかもわからない。もちろんオーナもいない。

デンマークの幼稚園なんてこんなモンだよな、と自分を納得させ、今日から入園と言われたから来ましたと一通り私の方から説明をして、担任と思われる先生と簡単な話をした。クラスは、アットホームで、先生も非常に知的かつ私も頼りたくなるようなお母さんタイプ。息子も嫌がらずに、初日(1時間母親付き)を終えた。初日で、私も気分が高揚していたこともあると思うけれども、最初の印象は、悪くなかった。というか、むしろ先生たち、子供、両親にとてもいい印象をもっていた。皆落ち着いていて、にこやかで。

この幼稚園では、2週間の慣らし保育期間を取る。初日は、1時間幼稚園に母親付きで滞在、2日目は、2時間と少しずつ親と離れる時間を伸ばしていく。子供が幼稚園に悪印象を持たないために必要であるとの説明を受けた。2週間は、子供が自宅にいる時間が長く、私の仕事的には苦労の連続だったけれども、子供にとっては、順調な慣らし保育期間だったと思う。
急展開を迎えたのは、慣らし保育が終わった2週間ほど経った頃だろうか。突然現れたピンヒールに黄金のネイルを光らせる女性が、私と会話中の担任の先生に話しかけ、何かタスクをさせるために連れて行った。幼稚園にピンヒールのあの女性は何者だ?って….いや、私何となくわかってた。

「あーら、ごめんなさい。私この園のオーナーなんですよ」あとで、戻ってきたそのキラキラ女性が、なんと、今まで登場してこなかったオーナーだったのだ。その後は、怒涛の下り坂だ。20日、突然クラス会のお知らせが来て、とりあえず参加。親と先生のコミュニケーションの日と名付けられたその日の会合のコトは、前日に知った。朝の子供の引き渡し時間に現れたオーナーに、「初めましてお母さんね。私この園のオーナーです。」と自己紹介を受けた私。先週末にすでに挨拶してるよ。…と言いたいのをこらえた。

仕事を早退して参加したその会合は、まさにオーナーの独占場。自分の教育理念やら、子供には何が必要だとか、3年前に設立して困難にもめげず今まで続けたこられた自分を褒めたあげたいとか。しかも教育理念に関しては、名前をたくさん挙げる割には、何が言いたいのかよくわからず。一人も聞いたことないよ…。私は、黙ってオーナーの銀色に輝くネイルを幼稚園で銀のネイルかよ...と思いながら、じっと見つめていた。

その後、「私は皆からのコメントを聞きたいの」と言われたのが、私にとっての最終局面が始まる契機だったと思う。誰も何も言わないので、なんとなく場を持たせるために、ちょっと発言を試みた。「今まで行っていた公立幼稚園と違って、教育プログラムがしっかりしていて、息子は、このスタイルがあっているみたい」と言った私は、地雷を踏んだらしい。「あぁ、もうそんな意味のない比較なんて聞きたくないわ。デンマークの幼稚園が悪いとか、そんな話はしないで。もう終わり、この話はしないの。」一瞬凍るその場に、私は、何が起こったのかよくわからなかった。「いやー、単に個々にはそれぞれに合う場があると、言いたかっただけで。親がそれを見極めて適切な場を与えることが必要だと...」と言おうとする私を遮り、「ともかく、私は、自分の幼稚園を比較しようなんて思っていないの。私が見たいのは未来なの」とバッサリ。しばらく、談笑する皆を横目に、自分との対話をせざるを得なかった。気がついたら、頬を涙が伝っていて、止めることができなった。ちょっと別のことで感傷的になっていたこともあるんだけれども、自分でもびっくり。

2日後、初めての保護者面談。2日前に、私の一方的な直訴?を聞いていた旦那は、笑いながら、まぁまぁ、と言っていたんだけれども。担任とオーナー、私と旦那の4人の面談で、少しずつ旦那が苛立ってきてることがわかった時には、「ほーれみろっ」と思わざるを得なかった。でも、その旦那の対応を勘違いして調子に乗るオーナー。「私、こう見えてスピリチュアルなんです」と、言い始めたオーナーに、旦那が本格的な攻撃を開始した時は、小気味よさを通り越して、背筋がゾクゾクしてきた。私は、「だまってろっていわれているの」と、一言も声をださず、身振りで話してくる担任と顔を合わせて合図を送り合ったり、オーナーの秋模様のネイルを見ながら2日で変えるのかよ…と呆れながら、旦那のオーナーへの攻撃を静かに聞いていた。
結局、子供の教育に関わる教育知識は全く持ち合わせておらず、資格もなく(デンマークではこれがとても重視される)、幼児心理学も知らない(旦那は大学で、CSの前に心理学を勉強してる)ことが明確になって、しかも、運営者として致命的な失態をしでかして、旦那の誘導もうまかったんだけれども、すでにひとかけらも残ってなかった私の信頼ばかりか、旦那の信頼も完全に失ったわけだ。

結局息子は、その素敵な担任のいる園を1ヶ月で抜けることにした。担任は、今までトップに上げられるぐらい素敵な方だけれども、インターということで、公立幼稚園の数倍の費用を払って、それに見合う教育が受けられないばかりか、それが少なくとも2日に一回変わるネイルに化けるかと思うとやってられなくなった。

デンマークの教育は、自主性を重んじ、創造性を支援すると言われる。ただ、大学にいる身として、創造性だけの自由だけの教育はやはり弊害があると考えていた。デンマーク式教育と英国式ちょっと厳しい教育のいいとこ取りを試みていると思われたこの幼稚園は、当初は理想の場に思えたが、結局この私の実験は高い代償を払って失敗に終わったと言える。

子供の頃の教育は重要だ、だからこそ、子供には良い環境を与えたい。親ならばそう考えない者はいないだろう。しかも、預けている時間がどうしても長くなる共働きの国だから、幼稚園の選択は、慎重にするほうがいい。直接関わる担任が良ければ良いと当初は思ったけれども、園を取り巻く環境はやはり大切だと思い直した。多くの私立学校は、創立者の理念に基づき、その理念に賛同した人が集い、その理念をことあるごとに復唱し、今につながっている。創立者の大きな志が今も脈々と受け継がれている例は、多くの教育機関で見ることができる。個々の教育者の資質は重要だが、その受け皿となる場、悩ましい時に方向性を提供するビジョナリーな創立者はやはり偉大である。それを国レベルで作り出しているデンマークという国家もやはり偉大であるのではないかと、1ヶ月ぶりにデンマークの施設に子供を預け、すっかり安堵した自分に気づいて、改めて考えさせられた。