北欧での実践報告を聞いたり、各種レポートを見ているだけでは、当たり前のように参加型が取り入れられて、ユーザのエンパワーなんかもうまく進められている印象を持ちがちだ。でもその実践を身近で見ていたり、関わっていたりすると、そんな美しいものじゃなくて、もっと現場は泥臭いものだったりするのが現実だということがわかる。
ユーザ参加と言っても、ユーザが集まらなかったり、集まった人たちがあまり乗り気じゃなかったりすることもよくあるし、プロジェクトでリソースがつくから運営されているだけでプロジェクトが終わると消えて跡形もなくなくなってしまうなんてこともよくある。ユーザのエンパワーと言いつつも、主導しているのはデザイン研究者であることが多く、ユーザは誰もそんなの要求したわけじゃない、という状況だったりもする。報告や論文で参加者が抵抗している様子などが書かれていることがよくあるが、そもそもなんでやったんだろう?結局デザイン研究者の独りよがりじゃないんだろうか、と思わされることも度々ある。
おそらくユーザは、参加してみて初めて、自分で自分の生活に関わることをデザインをする楽しさみたいなものを理解することもあるんだろう。だからこそ、参加型を社会の隅々に取り入れていくのは啓蒙と同じで、社会が自律的にデザインを取り込んでいくためには必要なことなんだろう。
ただ、そのあたりの仕組みづくりを苦労して進めているのがデザイン研究者であって、全てが夢の世界のように仲良く手を取り合って進んでいるわけではないことは、よく理解しておかないといけない。