北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

明日死ぬかもしれない

f:id:jensens:20171024031935j:image函館に着いてすぐ、地図を見たときに「トラピスト修道院」という文字が目についた。中高学園祭などで必ず売られていたクッキーの販売元が「トラピスト修道院」で、素朴ながら後をひく味のクッキーだが、修道士が作っているという売り込み(未確認)。

言われてみれば「トラピスト」は函館にあると聞いていたような気がするのだが、名前を見た途端に懐かしさが込み上げてきて、函館滞在中に時間ができたら行くしかないだろうとバスの時間を調べたりしてみたりして準備は万端だ。

 函館の学会の閉会式が早まり時間ができたので、空港に行く前にちょっと寄ってみようと終了後に周りと話していたら、なんと知り合いのO先生が観光ガイド/運転手を買って出てくださった。というわけで、空港近くのトラピスティヌではなく、予想外にアクセスが悪くてバスで行くのは諦めていたトラピスト修道院まで行くことができて一人で感激してしまった。一緒にお付き合いくださった方々も楽しんでくれてたらいいんだけれども…結構異色の場所に連れて行ってしまったかもとちょっと責任を感じています、すみません。

函館の地には、カトリック系のトラピスト修道院(男子) とトラピスティヌ修道院(女子)があり、両方とも厳格なシトー派の修道院で労働と祈りの隠遁生活を送る修道士たちが毎日の生活を過ごす。私は、エコーの「薔薇の名前」に出てくる修道院のようなイメージをずっと持っているのだが、イメージがわかなかったらぜひ映画をみてください(映画だけじゃなくて原作もおすすめ)。 山の奥深くで共同生活を送り、荒野を開拓して生活の糧を得ながら祈りの生活を送る。雪深い北海道でそんな毎日を過ごしていた人たちを考えながら、門まで坂を登って中をのぞいて(そこまでしか入れない。そして女人禁制なので、公開日である開門日に当たっていったとしても入れない)…そして降りてきた。

中学の古典の先生はマスール(修道女)で、古典の授業の合間に、生きるということ、そして死ぬということの話をよく織り交ぜていた。中でも記憶に残っているのが「毎日、部屋を綺麗に片付けてから寝る」という話。

いつ迎えがきてもいいように準備をしておかないと。次の日起きられなかったら誰かが自分の部屋を見ることになる。その時に汚い服が部屋に散らかっているのを見られたくない。

先生は高齢ながらもまだ矍鑠としていたので死を待っていたというわけではないだろうけれども、確かに脱ぎっぱなしで寝てしまって次の日死んでたらちょっと恥ずかしいなと思ったこととか、毎日の生活の覚悟が全然違うなと思ったことを覚えている。私は、まだ明日死にたくはないし死ねないけれど、事あるごとに思い出している。

北欧の生活は自然と対峙する機会が多い。自然を身近に感じるからこそ生死を感じることも多く、そんな時はよく先生のことを思い出している。そして修道院の前で、久しぶりにそんなことを考えていた。