高学歴の女性は結婚に不利なのか
最近、エコノミストで何度か掲載されているトピックで「優秀な女性に怯える男性」に関わる記事群がある。例えば、「Meet the incels and anti-eminists of Asia 」や「Why young men and women are drifting apart」、などだ(英語だけれども是非とも読んでみてほしい。日本語翻訳使ってもいいかも)。今の先進国では、女性の進学率は高く、優秀な活躍する女性が増えている。そのために、最近の男性はコンサバになっているし、女性はさらにリベラルになっているという論調だ。これは、我が国日本や韓国ばかりでなく、欧州でも見られる傾向だという。欧州のポーランドやスウェーデンでは女性嫌悪の男性が増えているという。その中での、例外はデンマークかもしれない。
デンマークでは、60年代、今までの男性優位社会がアンバランスだったと考え、男女平等が進んだ。私は、デンマークに住んで20年ほどになるが、女性であることで不利益を受けることは、日本に比べると格段に少ないと感じる。もちろん給与平均が女性の方が低いとか、育児休暇を取る男性は意外と少ないとか、デンマーク国内で平等を妨げている社会課題として議論される要件は多々ある。だが、日本の状況を漏れ聞く毎日の中で、そこと比べるからかもしれないが、デンマークに住んでいて外国人としての不利益は感じることはあっても、「女性であることの不利益」を感じることはあまりない。
高学歴の女は結婚に不利なのか
友人の『高学歴の女は結婚に不利なのか』を読んだことをきっかけに、改めてそんなことを考えていた。私は、学部を卒業し、修士課程に行き、そして博士課程に進学した。そして、そんな私は、結婚するまで、Mioさんと同じようなことを考えていた。
「私は学歴が欲しくて勉強しているわけじゃなく、自分がやりたいからやっている。周りが働いているように一つの選択肢として。自分の情熱を持ってやっていることが、結婚どうこうに関係するなんて、おかしいんじゃないか...」
私も、関心があること、自分の興味、できることを模索していたら、修士、博士に進学することになったわけで、別に大学院に行こうと、大学に入った時に考えていたわけではない。学部は私立だが、そのあとは国立に行ったので学費も少し浮いたし、奨学金も取得して親に金銭的な負担はそこまでかけてない。同期や先生には本当にお世話になったし、一人で成し遂げたわけではないが、卒業して就職した人にも負けないぐらい、色々と悩んで考えて今の道を選択したと思っている。
が、やりたいことを追求していた結婚適齢期の私は色々と反発を受けた。20年前の日本の環境は、女性にとってそれなりに難しい。たとえば、東大の大学院に進学が決まった時、祖母に喜んでもらいたくて報告に行ったのだが、その時に、「大学院まで行って・・・(大きなため息)。ようやく修士が終わったと思ったら、まだ続けるの?しかも東大なんて!誰もお嫁にもらってもらえないわよ」祖母に悲嘆に暮れられて、悲しかったことが忘れられない。幸い私の両親は喜んでくれた(と思う)ので、それほど気にしてはいなかったけれども、ことあるごとに思い出しては苦いものが込み上げてくる。
味方になってくれるはずの親戚からの経験は意外に深刻で、私は結構、「女性として、人間としてダメ?!」と拗らせていた。結婚願望はそれほどなかったけれども、好きな人、一緒にいたい人は居た。修士の時は学部の時に知り合った人と付き合っていたし、博士の時は修士の時に知り合った人と付き合っていた。当時付き合っていた人たちに対しても、彼女が自分より高学歴なのは嫌だと思っているのだろうかと、折に触れ気になっていたりした。
デンマークは女性にとって良い国か?
何度も述べていることだが、デンマークは「よい国なのか」と聞かれると、私はいつも返答に詰まる。私にとって、いくつかの理由で「最高の国」と胸を張って言うのは難しいからだ。ただ、一つ確実に良かったと思うことがあり、それは、女性にとって生活しやすい国であるという点だ。女性だからという理由で一歩下がる必要はない。女性だからということで、大学院に行くことを躊躇しなくていいし、仕事を頑張ってはいけないことにはならない。そして、女性として結婚し、子供を産み、必要であれば離婚してまた再婚する、ということも後ろ指刺されることはないし、大学院や仕事も頑張ってよい。デンマークの男性と話をしていても、女性の女性性や「可愛らしさ」こだわる人には会ったことはないし(男性同士の会話はわからないけど)、賢いことを隠す必要もない。男性側が逆に少しでもそんなことを言うようなら(女性は可愛くしていれば良い、とか)、周りの女性(時には男性からも)から集中攻撃に遭うこと間違い無しだ。
正直、(自分より)高学歴の女性は願い下げだという男性が一般的だと思ってしまっていた私は、ちょっと気持ちをこじらせていたようだ。学部の時の彼も、修士の時の彼も、とても素敵な人だが、時々私の気持ちがついていかなかったんだろうと思う。そして、最終的に、高学歴(やその他の私の日本ルーツのコンプレックス)を気にしない外国人の男性と結婚したことで、そのジレンマはすっかり影を潜め、そんなことを考えていたことを忘れていた。
本題
今回、Mioさんの記事を読んで色々と考えた。さらに、最近、風の便りで聞いた昔の彼氏AとBの奥様が東大出身者であることを知って、祖母から昔受けた心のしこりがスッとなくなった気がした。さすが私が好きだった人たち!そんな旧時代的な制約は、彼らの中には元々なくて、気にしているのは私だけだったのだろう。
高学歴の女性は結婚に不利なのかと考え、自分のモチベーションや知識への想いを抑えようとしている女性に言いたい。高学歴の女性は願い下げだという男性には、そんな男性はこっちこそ願い下げだ、と言ってやるといい。スマートな女性は、そんなことを言ってくる男性に対して、魅力を感じなくていい。そもそも、好きになる人、一緒に過ごしたいと思う人は、そんなどうでもいいことを超えてくる人だろうね。
Economistの記事
In advanced countries the gap between the sexes has widened, with young men tending to be more conservative and young women tending to be more liberal. The trend is particularly striking in East Asia. Men are not adapting well to a society where women are better educated, compete with them for jobs and do not want to have babies with them.
ノルウェーの第二次世界大戦とレジスタンス
デンマークの第二次世界大戦
日本で生まれ育った私は、北欧に住み始めるまで、第二次世界大戦中の北欧がどのような状態だったのか、よく知らなかった。それぞれの戦争がある、とはいえ、私が今住んでいるデンマークは、1日でナチスドイツ軍に降伏し、その後は占領下にあり、比較的平和に過ごしていた数少ない欧州の一つだ。デンマークに住む外国人が、まず文化学習のイントロとして勧められるデンマークのドラマに「マタドール(Matador)」があるが、そこで描かれる第二次世界大戦は、「本物のコーヒーが飲めないなんて、なんて戦争って大変なのかしら」である。デンマークは、占領下においても抵抗はほとんどせず、占領されてから最初の3年間ほどは、占領軍へのデンマーク・レジスタンスの破壊工作に、国内では、批判がされていたぐらいだ。

私はそんなデンマークの第二次世界大戦にちょっとばかり、イライラしたり、歯痒い思いをしていた。そんな気持ちは、デンマークの人たちが、郷愁を持って第二次世界大戦ごっこをしている様を見てしまった時(ガーダーホイフォート:戦争ごっこ)や、ドイツ軍劣勢と言われるようになってからのレジスタンスの動きをナショナリスティック的に語られたり(レジスタンスミュージアムに行ってみた)した時に特に感じてしまうのだが、その揺れる感情は特に、この日本の戦後が始まる8月に激しくなる。だからこそ、戦争の展示を見に行った時には、真剣に考える人もいるんだと、心の重荷が取れた気分になったりもしていた。
ノルウェーの第二次世界大戦
そんなデンマークの隣国にありつつ、矜持を持っていたんじゃないかと思われる国、ノルウェーに惹かれるのは、私にとっては自然なことだったと思う。特にノルウェー国内でも人気のある「ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作」は、ノルウェーがいかにナチスドイツに「多大な勇気と創意工夫を持って抵抗した」かが、如実に表れている例である。
私がこのレジスタンスの物語を知ったのは、以前にも軽く紹介したことがある破壊工作を物語にしたノルウェー国営テレビNRKの連続ドラマKampen Om Tungtvannet(重水の戦い)を見たからだ。
ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作
以前の記事の繰り返しになるが、Kampen Om Tungtvannetとは、第二次大戦時にナチスドイツ占領下のノルウェーでドイツ軍が進めていた原子力爆弾製造を阻止すべく、ノルウェー人とイギリス軍が破壊工作を試みる物語(特にOperation Gunnerside)がプロットになっている。ナチスドイツと戦うために、ノルウェー人がイギリス軍の支援を受け、ノルスク・ハイドロで4−5回の破壊戦略を繰り広げる。ノルウェー人たちは、厳しい自然環境とも言えるノルウェーの冬山を逆手に取り、ノルウェー人が冬山を理解しているからこそできる戦略を駆使し、超人的な活躍を繰り広げるのだ。地元の地理の理解、冬山でのオペレーション、ノルウェー人が自然と対峙してドイツ軍の裏を掻くシーンは胸が熱くなってくる。
その物語を知ってから、実際にノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作の舞台となったノルウェーの企業ノルスク・ハイドロ(訳すと「ノルウェー水力発電」とでもなるだろうか)のVemork 水力発電所やそのRjukan(リュカン)エリアやのHardangervidda(ハダンガビッダ)の山々を見てみたくなった。折しも、2015年には、ナショナリズムが高まったのか、財政が豊かになって振り返る余裕が出てきたのか、、Vemorkは修復され、景観素晴らしい美術館(Norsk Industrial Workers Museum)になっていた。
美術館に行き、Rjukanを散策し、レジスタンスが通った道を(夏の雪のない時期だけれども)歩き、ちょっと思いを馳せてみた。

今や美しい美術館。景観も豊かで、夏は気持ちがいい。

美術館には、様々な展示があるわけだが、破壊工作関連の展示は、それなりに迫力があった。訪問者とのインタラクションも優れていて、五感に訴えてくる展示は心に刺さる。展示の中で問いかけられていた質問の一つ「君は、戦争になったら国を守るために立ち上がるか?」は、今の社会情勢の中で現実味が強く、胃が痛くなる。
そうだ・・・、ノルウェーのレジスタンスたちは、死ぬことを覚悟して、破壊工作に取り組んでいた。

レジスタンスたちの道のりを辿るハイキング(結構厳しい4時間コース)を歩いたのだが、そのレジスタンスたちが破壊工作のために選んだ山深い道のりの最終局面には、山間の谷間にゴールとも言える工場が見えた。レジスタンスたちは、隠れ家から長い雪道を歩き、工場近くまでたどり着いた。この工場が山間に見えた時に、レジスタンスたちは何を思ったのだろうか。
私は、夏だからどうにか歩けるけれども、それでも、ルートは起伏が激しかったので、結構辛かった。
私たちへなちょこ家族が夏山で4時間かけて道のりを、レジスタンスたちは冬の雪深い季節に爆弾を抱えて移動した。死ぬことを全員が覚悟していたというが、なんと、全員怪我なく帰還したのだ。そんなことを考えると胸が熱くなる。
ガウスタトッペンGaustatoppen
この辺りの観光名所の一つ、Gaustatoppenにも、なんちゃってハイキングをしてきた。こちらは、景観の良い山頂であるが、Gaustabanenという冷戦時代に使われていた秘密通路を山岳鉄道で通って頂上に着く。鉄道が頂上に到着した時に通ったトンネルの壁には、歴史的な写真がいくつか飾られていて、ちょっと美術館っぽくしていたけれども、誰も立ち止まってみたりなんかしない。掲示の仕方が、おばあちゃんの家の壁のようで、なんだかダサいデザインだったせいだと思う。
それほど知られてない(私は知らなかった)けれども、歴史が動いた時に多くの行動を起こしていたようで、意外とノルウェーは、世界史の陰の立役者なのかもしれない。

エリアが一望できるGaustatoppen(ガウスタの頂上)。
今や、一大スキーリゾートとなっているGausta。このエリアで第二次世界大戦時に、命をかけて国とナチスドイツの核兵器開発を阻止しようと戦っていた人たちがいる。そんなことを考えると、その場所にいることだけで、胸が熱くなる。

デンマーク産ウィスキーの勧め

デンマーク🇩🇰が、ウィスキーを作っていることを知っているだろうか。ウィスキー業界のいわゆる新参者であるデンマークは、この10年ほどで多くの賞を取得するようになっている。
例えばユトランド半島南部にスタウニング、北部にThy Whiskey(チュ・ウィスキー)がある。
両者共に、デンマーク・ウィスキー #danishwhisky 🥃のライジングスターたちだ。驚かされるのは、2012年ぐらいに製造を始め、10年の短期間に、欧州一と言われるまでに成長したことだろう。
両者に共通するのは、伝統を重視する丁寧な職人仕事なんだろうと思う。地元のアセットを大切にし、昔ながらの製法から学び、今の北欧形作るサステナビリティ配慮、サーキュラーの考え方も忘れずに、丁寧にプロセスを作り上げている。
Thy Whiskey(チュ・ウィスキー)
1900初期からの歴史を誇る農家が、ウィスキー醸造を始めた。チュ・ウイスキーの特徴は、2つ。①ウィスキー醸造を中心とした農業エコスステムをエリア全域で作り上げていること。②素材を吟味し土着の品種を再生させ、素材としていること。

「ウィスキー蒸留所が、牛を育てているのを不思議に思う?」そう尋ねたオーナーが、続いて述べたのは、土地のエネルギーを循環させることの大切さ。オーガニック農法において、同じ土地で同じ品種を育てすぎると土地が弱ってしまう。複数の穀物を育てて土地を、土を育て続ける。だから、複数の穀物を育てて土地が痩せないようにし、長期視点で土地を作り、環境全体のエコシステムを作り上げる。牛も立派な地球の循環の仕組みcircle of lifeの一角を担ってる。

ウイスキーの原料として使われている穀物は、古来種だそうだ。1900年初期に使われていた種子をデンマークの誇るシードバンクから取り寄せ、数年かけて、オーガニック農法に則り麦を育てて原料として使えるまでの収穫量にした。初期は、他から仕入れた麦も混ぜていたが、現在は、100%オリジナルの大麦を使っている。全て、この地域で直生産・収穫の麦を使い、モルトを蒸留し、ボトリングをおこなう。
近年、シングルモルトが流行りなのは、生産される地域や蒸留所の個性が明確に出てくるからだという。地域の麦、土地の水を使い、土地のテロワールを向上させて、品質を上げ続けているチュ・ウイスキーは、今後も王道をいくだろう。

樽は二次利用のもの。米国のバーボン樽などが使われている。

蒸留所では、お決まりのテイスティングもできる。
薫りを楽しみ、アルコール臭が抜けた醇浩な甘さが鼻腔を抜ける。雄大なthyの草原を思い起こさせる軽やかな香りが口に漂う。スモーキーな3種目は、玄人向けだろうか。

戦争の展示を見に行ってみた

現在デンマークでは、戦争や地下壕をテーマとするいくつかの博物館に、関心が高まっているらしい(DR.DK)。
DR.DKの記事で紹介されていたスカナボー博物館(Skanderborg Museum)では、2022年から2023年にかけての来館者数が約25%増加した。博物館の学芸員であるマーティン・モルゴー氏によれば、ウクライナの戦争をはじめ、デンマークの防衛とヨーロッパでの戦争が注目されているこの時期に、第二次世界大戦時の展示が特に人気であるという。
地下壕の博物館としては、コペンハーゲンのレジスタンスミュージアムが有名だろうか(レジスタンス・ミュージアムに行ってきた - 北欧生活研究所)。
来館者は、デンマークが大きな紛争に直面したとき、どのようなことが行われていたのか、また基本的な物資が配給される中で生活することがどのようなものであったかに特に興味を示しているという。
つい最近、個人的にも戦争関連の展示を見てきた。個人的にも大好きなユトランド半島にあるMoesgaard博物館の新展示「Kriger:戦争で戦う者」である。
Moesgaard博物館は、私が住んでいるコペンハーゲンから4時間ほどはかかるのだけれども、大好きな場所でよく行く。以前にも北欧の知られざる歴史を日本語で聞ける衝撃 - 北欧生活研究所や、デンマークの美術館:Moesgaard Museum Vol.2 - 北欧生活研究所で紹介したことがある。ウクライナ戦争が始まったばかりの頃、ウクライナ・ロシアで貿易をしていたバイキングたちの話「RUS:東方のヴァイキング」は、今思い返してもとても高品質な展示だった。
今回の「Kriger:戦争で戦う者」は、ローマ軍、日本の侍、ニューギニアのSepik、現代のデンマーク軍という4つの、大陸も時代も社会も異なる「戦う者たち」に焦点を当てた小さいけれどもキラリと輝く展示だった。
今だからテーマとして選ばれたのだろうと思う。個人的にも、この自分の平和な日常と大きくかけ離れた非日常的日常が、そう遠くない場所で繰り広げられているということを、毎日の生活の中で考えざるを得ない。ほとんどの社会文化で、忌避されるはずの人の命を殺めるという行為がなぜか戦争では日常になる。人を殺すというタスクを与えられた人たちが、その行為に入り込むまでの心持ち、明日は、誰かを殺すということを考える時の心持ち、そして、普通の社会に戻ってきた時にどのような心持ちで過ごすのだろうか。
「人は、いかにして戦う者になるのか?戦う前、戦っている間、戦いを終えたあと・・・(hvad det gør ved et menneske at blive kriger – både før, under og efter kampen)」

北欧の知られざる歴史を日本語で聞ける衝撃
知られざる
2022年の夏のマイブームは、歴史だ。ひょんなことから歴史の繋がりを見せてくれるポットキャスト「コテンラジオ」の存在を知り、大航海時代やスペインの覇権の詳しいストーリーが今までにないほど色を帯びて、目の前に広がる欧州の街並みに重なって見えるようになった。それが夏のポルトガル旅行前だったから、「コテンラジオ」になおさらはまった。目の前にある歴史あふれる町並みに、もう消えてなくなっているはずの人たちや当時の空気が見えるような気がした。世界の偉人が、単なる「偉い人」ではなくて、一人の人間の姿で見えるようになった。
旅行から帰ってきてからも、隙を見つけては聴き続け、偶然耳に入ってきたのが、RUSという言葉だ。あれ?RUS!?そうだ、以前、紹介したオーフス近くの美術館で感動した展示「デンマークの美術館:Moesgaard Museum Vol.2」で紹介した「RUS」だ。
「コテンラジオ」でRUSが紹介されたのは、ウクライナ🇺🇦を特集した特別回の第一回目で(ウクライナとロシア)、そこで話されていたのはウクライナの建国の歴史。それまで、RUSについては、日本語で聞いたことも読んだこともなかったから、美術館の展示で見て(デンマークの美術館:Moesgaard Museum Vol.2)、また、「コテンラジオ」でも聞いて、この偶然に小躍りしたくなるほど嬉しかった。
モースゴー美術館の展示は、ヴィジュアルに美しく情報量も多かったが、正直、きちんと理解できているのかあまり自信がなかった。だから、日本語で改めて聞けた時の感激はいかに。そして、日本語で聞けるっていいなと、改めて思った。頭にスッと入ってくる。
北欧の歴史に関心があったら、「コテンラジオ」オススメ。北欧に関心なくてもオススメ。

デンマークの美術館:Moesgaard Museum Vol.2

Moesgaard Museum(モースゴー美術館)に行ってきた。オーフス(Aarhus)南に位置するモースゴー美術館は、建築も環境も素晴らしく、展示も今までがっかりさせられたことがない。よっぽど優秀な学芸員がキュレーションしているんだろうか。
一般的には、デンマークの美術館というと、コペンハーゲンから電車で1時間北にいったところにあるルイジアナ美術館やオーフスのAROSが挙げられることが多いが、私の中では、モースゴー美術館がかなり上位に来ている。とても素晴らしい美術館で、感動のあまり以前にも記録を残したことがある。あまり日本の人が行かないのは、コペンハーゲンからは遠い、車がない場合のアクセスはあまり良いとは言えずオーフス駅からバスで15分ぐらいかかるから、だろうか。とっても勿体無い。
今回は「RUS:東方のヴァイキング」の展示に惹かれていたこともあり、機会を得て行ってきた。天気も良く、緑豊かなMoesgaardを訪れるにはまたとない絶好の日和だ。
まずは、自然が広がる景色や子供をあやすヴァイキングの末裔の姿を楽しみながら素晴らしい美術館カフェで素敵なランチを味わい、満腹になってから展示に向かった。
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