北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

レジスタンス・ミュージアムに行ってきた

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レジスタンスミュージアム「戦争は白黒で判断できるものではない」

コペンハーゲンでも有名な観光名所、カステレットの横に、「Freedom Museum」がある。デンマークナチスドイツに占領されていた1940-1945年の間の抵抗運動の軌跡を記録している美術館だ。2013年に建物が火事になり焼失したのをきっかけに、新しい建築で生まれ変わった。以前より気になっていたんだけれども、コロナ禍で美術館行きがちょっと面倒だったこともあり、訪問まで至っていなかった。このところ風邪をひいて1週間ぐらい死んだ様な生活をしていたのだが、天気もよく少し外に出てみようと思って、選んだ場所がこの美術館。

美術館本体は地下に造られていて、陸上に出ている建物部分は、筒のような建物の姿だ。蔦が這うような造りになっていて、今後5-10年かけて建物全体を緑の蔦が覆うようになるんだろうと考えると、経過をも楽しむデンマーク建築の粋が羨ましく思える。

入り口でチケットを購入し、中に入ると展示に使う音声ガイド機器を渡された。音声ガイドをQRコードにかざすとガイドがアクティベートされて、展示画像・映像が起動する。音声とガイドは連携していて、映像に沿って音声が聞こえてくる仕組み。映像エリアから離れると音声も聞こえなくなる。システムは最新式で手が込んでいるし、ガイドも単なる状況説明にとどまらない。時にはデンマークお得意のストーリーテリングが始まり、その場でひとり語りの舞台が始まって飽きさせない。レジスタンスたちの声を吹き替えている音声タレントたちもなかなか迫真の演技で、映像を見ながら耳元で語られるとドキドキしてくる。

展示は、地下エリアに広がっていて、音声ガイド(英語・デンマーク語)を全部聞きながら、抵抗運動の歴史を辿ろうとすると、正味4時間コースらしい。準備された資料はとてもリッチな内容だ。非常にシンプルな展示とも言えるのかもしれないけれども、もしカステレットに遊びに行く機会があれば、ざっと見に行って欲しい。おすすめだ。建物を出るときには、戦争のない世界って素晴らしいと改めて思えるから。

 

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レジスタンス運動が行われていたコペンハーゲン

ナチス軍がデンマークに侵攻してきた際、デンマークは、ほぼ抵抗することなく1日で国王による降伏宣言が出された。本当、デンマークは、後腐れなく、湿っぽくなく、実に論理的かつプラクティカルな判断を下せる国と思う。日本であったら、「日本国民としての誇りはないのか!」「本土決戦!」と一喝されそうだが、実利を取るデンマークは潔い。だから、都市部も破壊されることなく今でも旧市街の散策を楽しむことができるし、当時も市民も普通の生活を送ることができていたというのはよく知られていることだ。

占領下でも経済を回すため、デンマーク政府はドイツ軍との交易を積極的に行なっていたし、ドイツに出稼ぎに行っていたデンマーク人も多い。ドイツ軍に入隊したデンマーク人も多い。強制徴兵ではない。デンマーク女性の中には、ドイツ人が恋人という人たちも出てきて、それなりに優雅な暮らしをすることもあったみたいだ。もちろん、占領下の生活は、自由に行動できるといっても、どこで誰が聞いているかわからず、ナチス党傘下のデンマーク人スパイもたくさんいたということだから、精神的にも辛い日々だったのだろうと思う。

もともと抵抗運動関連の話には興味があり、「ヒットラーのカナリヤ」や「ナチスに挑戦した少年たち」、「誰がため(映画:Flammen & Citronen)」などは読んだりみたりしていたが、実物を見たり、背景を知るとより理解が深まる気がする。実際の銃弾の跡が生々しく残されている服やレジスタンスの線路破壊工作の映像などは衝撃的だし、デンマークナチス党員の台頭や、抵抗勢力の一部はコミュニストたちだったというくだりには、やっぱり背筋が一瞬寒くなる。

ナチスドイツに従っているとはいえ、デンマーク王国としての独立性を維持しようと、心理戦もそれなりに繰り広げられていたんだろうと思う。一つ感銘を受けたのは、占領後比較的すぐの1941年9月の記述。当時の首相Buhlと国王クリスチャン10世が行った話し合いの記述展示で、「仮にナチスドイツが、ダビデの星(ユダヤ人を見てすぐに判断できるよう服に星の印が縫い付けられる)の導入をデンマークに求めた場合、デンマーク憲法を根拠に反対することを合意したこと。もしナチスドイツに強制的にダビデの星の導入が決められるのであれば、全国民にダビデの星を身につけるように提案する」といったもの。全国民が付けるってなんだそりゃ、とおもったが、それはそれで最強の平和的な抵抗かもしれない。

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ダビデの星、みんなでつければ怖くない

どれぐらい自由だったのか、どれぐらい人々が心の底では抵抗を続けていたのか、そんな状況を示す資料も散見される。1943年5月23日、占領下でもデンマークの独立性はかなり維持されていたようで、ナチスドイツに許可されて国政選挙も行われ、政権への支持を示すために国民がこぞって投票に行ったそうだ。そして、なんと今のデンマークよりも高い90%の投票率だったというから驚きだ。

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皆さん選挙にいきましょう

そして、締めは、ナチスからの解放後の自由の奪取を示すデンマークお決まりのセリフだ。これを外してデンマークナチスドイツ占領は語れない。

「占領下では、入手できないがために皆が我慢せざるを得なかった。そして、ナチスドイツが撤退したときに皆が再度入手することができて戦争終結の味を喜んだ」

説明とともに示されるのは、コーヒーだ。コーヒーがなくて辛かったのかよ…。「火垂るの墓」や「白百合の塔」が頭をよぎり、母国の太平洋戦争下の惨事と比べると、やるせない気持ちがふつふつと湧いて出てきてしまう。

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皆が待ちに待った…コーヒー

レジスタンスの悲劇や活躍が満載の展示ではあるが、同じシーンの裏側には、ドイツ軍に情報を流していたデンマーク人、ドイツ兵の一人として戦場に出ていたデンマーク人、ドイツ人の恋人がいたデンマーク人女性、在デンマークナチス党員となっていた人たちがいる。最終的に敗者となったドイツに加担したデンマーク人たちは、悲劇の最期を迎えるわけだが、それはそれでやるせないと悲しくなる。

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占領期の終了を祝うその背景には、多くの人の血と涙がある