デンマークの第二次世界大戦
日本で生まれ育った私は、北欧に住み始めるまで、第二次世界大戦中の北欧がどのような状態だったのか、よく知らなかった。それぞれの戦争がある、とはいえ、私が今住んでいるデンマークは、1日でナチスドイツ軍に降伏し、その後は占領下にあり、比較的平和に過ごしていた数少ない欧州の一つだ。デンマークに住む外国人が、まず文化学習のイントロとして勧められるデンマークのドラマに「マタドール(Matador)」があるが、そこで描かれる第二次世界大戦は、「本物のコーヒーが飲めないなんて、なんて戦争って大変なのかしら」である。デンマークは、占領下においても抵抗はほとんどせず、占領されてから最初の3年間ほどは、占領軍へのデンマーク・レジスタンスの破壊工作に、国内では、批判がされていたぐらいだ。
私はそんなデンマークの第二次世界大戦にちょっとばかり、イライラしたり、歯痒い思いをしていた。そんな気持ちは、デンマークの人たちが、郷愁を持って第二次世界大戦ごっこをしている様を見てしまった時(ガーダーホイフォート:戦争ごっこ)や、ドイツ軍劣勢と言われるようになってからのレジスタンスの動きをナショナリスティック的に語られたり(レジスタンスミュージアムに行ってみた)した時に特に感じてしまうのだが、その揺れる感情は特に、この日本の戦後が始まる8月に激しくなる。だからこそ、戦争の展示を見に行った時には、真剣に考える人もいるんだと、心の重荷が取れた気分になったりもしていた。
ノルウェーの第二次世界大戦
そんなデンマークの隣国にありつつ、矜持を持っていたんじゃないかと思われる国、ノルウェーに惹かれるのは、私にとっては自然なことだったと思う。特にノルウェー国内でも人気のある「ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作」は、ノルウェーがいかにナチスドイツに「多大な勇気と創意工夫を持って抵抗した」かが、如実に表れている例である。
私がこのレジスタンスの物語を知ったのは、以前にも軽く紹介したことがある破壊工作を物語にしたノルウェー国営テレビNRKの連続ドラマKampen Om Tungtvannet(重水の戦い)を見たからだ。
ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作
以前の記事の繰り返しになるが、Kampen Om Tungtvannetとは、第二次大戦時にナチスドイツ占領下のノルウェーでドイツ軍が進めていた原子力爆弾製造を阻止すべく、ノルウェー人とイギリス軍が破壊工作を試みる物語(特にOperation Gunnerside)がプロットになっている。ナチスドイツと戦うために、ノルウェー人がイギリス軍の支援を受け、ノルスク・ハイドロで4−5回の破壊戦略を繰り広げる。ノルウェー人たちは、厳しい自然環境とも言えるノルウェーの冬山を逆手に取り、ノルウェー人が冬山を理解しているからこそできる戦略を駆使し、超人的な活躍を繰り広げるのだ。地元の地理の理解、冬山でのオペレーション、ノルウェー人が自然と対峙してドイツ軍の裏を掻くシーンは胸が熱くなってくる。
その物語を知ってから、実際にノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作の舞台となったノルウェーの企業ノルスク・ハイドロ(訳すと「ノルウェー水力発電」とでもなるだろうか)のVemork 水力発電所やそのRjukan(リュカン)エリアやのHardangervidda(ハダンガビッダ)の山々を見てみたくなった。折しも、2015年には、ナショナリズムが高まったのか、財政が豊かになって振り返る余裕が出てきたのか、、Vemorkは修復され、景観素晴らしい美術館(Norsk Industrial Workers Museum)になっていた。
美術館に行き、Rjukanを散策し、レジスタンスが通った道を(夏の雪のない時期だけれども)歩き、ちょっと思いを馳せてみた。
今や美しい美術館。景観も豊かで、夏は気持ちがいい。
美術館には、様々な展示があるわけだが、破壊工作関連の展示は、それなりに迫力があった。訪問者とのインタラクションも優れていて、五感に訴えてくる展示は心に刺さる。展示の中で問いかけられていた質問の一つ「君は、戦争になったら国を守るために立ち上がるか?」は、今の社会情勢の中で現実味が強く、胃が痛くなる。
そうだ・・・、ノルウェーのレジスタンスたちは、死ぬことを覚悟して、破壊工作に取り組んでいた。
レジスタンスたちの道のりを辿るハイキング(結構厳しい4時間コース)を歩いたのだが、そのレジスタンスたちが破壊工作のために選んだ山深い道のりの最終局面には、山間の谷間にゴールとも言える工場が見えた。レジスタンスたちは、隠れ家から長い雪道を歩き、工場近くまでたどり着いた。この工場が山間に見えた時に、レジスタンスたちは何を思ったのだろうか。
私は、夏だからどうにか歩けるけれども、それでも、ルートは起伏が激しかったので、結構辛かった。
私たちへなちょこ家族が夏山で4時間かけて道のりを、レジスタンスたちは冬の雪深い季節に爆弾を抱えて移動した。死ぬことを全員が覚悟していたというが、なんと、全員怪我なく帰還したのだ。そんなことを考えると胸が熱くなる。
ガウスタトッペンGaustatoppen
この辺りの観光名所の一つ、Gaustatoppenにも、なんちゃってハイキングをしてきた。こちらは、景観の良い山頂であるが、Gaustabanenという冷戦時代に使われていた秘密通路を山岳鉄道で通って頂上に着く。鉄道が頂上に到着した時に通ったトンネルの壁には、歴史的な写真がいくつか飾られていて、ちょっと美術館っぽくしていたけれども、誰も立ち止まってみたりなんかしない。掲示の仕方が、おばあちゃんの家の壁のようで、なんだかダサいデザインだったせいだと思う。
それほど知られてない(私は知らなかった)けれども、歴史が動いた時に多くの行動を起こしていたようで、意外とノルウェーは、世界史の陰の立役者なのかもしれない。
エリアが一望できるGaustatoppen(ガウスタの頂上)。
今や、一大スキーリゾートとなっているGausta。このエリアで第二次世界大戦時に、命をかけて国とナチスドイツの核兵器開発を阻止しようと戦っていた人たちがいる。そんなことを考えると、その場所にいることだけで、胸が熱くなる。