人が理解しあえるというのは、嘘である。相手のことを知ったとしても、それは自分の視点である。完全に相手を理解することも、相手に理解してもらうことも所詮、幻想である。相手を理解しようと不可能なことを試みるから、イスラムとキリスト教は交わらない。
例えるならば、毎日の食事を黒パンとチーズで済ませる人に、夏にカツオを求め、秋に松茸や栗を求める心持を説明しようとしても無理なのだ。
相互理解を目指すことを止め、合意点を共に創造すべし。
英語には、Sympathy(同情)とEmpathy(自己移入・感情移入)があることを知った。Sympathyは自分の領域から出ずに他人を思うことで、Empathyは他人の立場になってその人を思うこと。
古いメモより