デンマークのデザイン幼稚園に行ってきた。
このデザイン幼稚園は、コリング市の公立幼稚園のうちの一つであるが、2010年に鳴り物入りでオープンした幼稚園だ。「自分の人生を自分でデザインすることのできる自立した市民を育てる」ためにできることは何か、そう考えたコリング市は、幼稚園の段階から始める必要があるということで新しいコンセプトに基づきデザイン幼稚園「DesignBørnehuset SanseSlottet (インスタ)」を作ったのだという。音楽やデザインやデジタルに秀でたスキルを持っている保育士たちが、子供たちの創造性ややってみたい!と思う気持ちに火をつけサポートする環境を整える。
実施されている幼稚園の養育方針はとても興味深い。なるべく、子供の提案にはNOを言わず多少危険なこと(刃物を使う、火を使うなどでも)やってみようと言う、など、乳幼児相手になかなか大人としては難しい行為を積極的に行っている。ただ、訪問時期に聞いた具体的な内容については別の機会に譲り、今は、一つ考えたことについて語りたい。
幼稚園の広い園庭では焚き火が始まった。その横では、ケージの中で鶏が飼われている。焚き火で温められているのはチキンスープ。
現在幼稚園にいる2羽の鶏は、子供達が孵化の段階を観察し、育ってくるプロセスを逐一観察してきたのだという。そして、その1世代前の歳を取ってしまった鶏は、幼稚園で首を絞め、血抜きをして、スープや肉料理にして食べたという。幼稚園で視察を受け入れてくださったマリアンヌさん曰く、「チキンは冷蔵庫にあるものではないことを学ぶことは重要であり、食べる肉がどこからきているのかという由来を知ることで、その恵みに感謝することができる。」もちろん衝撃的すぎてトラウマにならないように段階的なプロセスを経るものの、乳児にも幼児にも動物の死骸を見せ、自然の摂理を理解させることは重要であるという考えは、広くデンマークで見られる。
例えば、2014年、デンマークの動物園で、キリンの殺処分と解剖がイベントとして実施された。健康なキリンを殺処分し、子どもたちの目の前で解剖し、ライオンに餌として与えた。野蛮過ぎると動物愛護団体や国外から非難にさらされた。だが、デンマークは一歩も譲らず、2015年にはライオンの殺処分と解剖が実施された。これは、デンマークとしては、動物の命のサイクルを学習することであり、重要な自然の摂理および教育の機会であると考える向きが強い。
ある意味、デザイン幼稚園で実施されている「鶏」による教育と同じことが動物園でも実施されているといえよう。私は、「鶏」の屠殺に立ち会ったことがある。さらに、私の娘は通っていた「森のようちえん」で、3歳の時に鳥の解剖、4歳の時にウサギの解剖に立ち会っている。周囲に話を聞くと、羊や馬、豚といったデンマークにおいては、身近な動物の死の現場に立ち会っている子供は多い。そして、皆、口を揃えて、動物の死を理解することは重要だ、というのだ。
ただ、デンマークでは、人間の死については、教えているのだろうか。
先日義父が他界しそのお葬式の準備中に、義母が7歳の息子に聞いた。「ファーファ(おじいちゃん)は、どうなったか知っている?」息子は果たしてどうやって答えるんだろうと見ていたら、息子は元気よく「知っているよ」と答えていた。そのあとの答えが秀逸だった。
「死んだらね、天国に行くんだよ。その天国では、とってもいい景色のトイレがあって、座りながらいい景色が楽しめたり、木に座って神様とお話できたりするんだ。形を変えて僕の前に出てきたりもするんだよ。全然、怖くないんだよ。でも悪い人は、すっごい大勢が使っているお風呂に入らなくちゃいけなかったり、何をしても鬼に怒られたり、臭いパンツを履かなくちゃいけなかったり、砂だらけの靴下を履かなくちゃいけなかったり、まずいケーキを食べなくちゃいけなかったりするんだ。….」(ちょっとパワーアップしているけれども)
数週間前に子供が日本語補習校で借りてきた「この後、どうしちゃおう」。3回ほど寝る前に読み聞かせたけれども、読み聞かせた時には大した反応はなくて、感想を聞いても「面白かった」というだけ。どれぐらい聞いているんだろうと思っていたのだけれども、息子は自分の中で理解して咀嚼して色々と考えていたみたいだ。そういえば、自分でページをめくっていた姿は何度か見ていったっけ。
しばらくポカンとしていた義理の母は息子のコメントに笑い始め、静まり返っていたヴェヌーの家は、息子の回答でピンと張った糸が緩んで、暖かい風が吹き抜けた気がした。
キリスト教が、それほど力を持たなくなっているこのデンマーク社会で、人の死について子供が知る機会はどのようにやってくるんだろうか。子供にどのように導入として知らせているんだろうか。子供は、どの程度わかっているのだろうか?