北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

自立した女性が行き着く先ーデンマーク編

ここ数年の出産・子供関連の話題としてメディアによく出てくるデンマークならではのテーマの一つに,精子だけを男性からもらって,シングルマザーで育てるという女性の話がある.これは,まったく湿っぽい話ではなく,逆に「母になりたいという女性の気持ちを成就させた女性の物語」といったニュアンスが強い.もちろん,一生を共にしたいというような男性がいたら結婚して家族を持ちたいというシングルマザーの声も紹介されていたが,男性とつきあうとか,家族を作るという枠組にある「子供」ではなく,子供を生みたい,自分の子供が欲しい,でも,男はいらないという自立した(生活力のある)女性が選ぶ選択肢として,認知されつつあるとも言えるのだろうか.中には,はめて妊娠し,養育費を男性に負担させているというツワモノもいた(私の知り合いの男性もはめられた人の1人.被害者は増えているのかな).メディアで特集されるぐらいだから,まだ量的には多いという訳ではないだろうけれど,ここに未来の世界の男女関係,子供の姿が見えると思うのは言い過ぎだろうか.

デンマークの家族観は,戦後,非常にさばさばしたものになった.デンマークでは70年代に隆盛をみたコレクティブという一つの家に住み家族同然に生活する人たちも多い.コミュニティーを構成し,複数の家族やカップル,個人が,全てを共有し自給自足の生活を送ることもある.その家族の姿とは,生活の場や理念を共有する者たちというニュアンスがあり,子供もコミュニティやその家の存在と捉えられる場合もある.従来の血縁家族を大切にする人たちもいる一方で,離婚を複数回するのも珍しくないデンマーク社会では,母親が複数人という家庭も珍しくない.そうなってしまうと,「家族」で大切なのは,血のつながりというより,理念や共感によるつながりになっているような気もしてくる.

血縁が唯一ではないということを示すよい例として,養子も非常に身近なことが挙げられる.日本のように,養子にもらってきた事を隠すということはまず無く,始めから子供にも周囲にもきちんと説明する.養子として育てられた子は自分なりにルーツなどについて悩む事もあるようだが,精神的に参ってしまうなどの例は,私は聞いた事が無い.養子なの?という質問も,私養子だからという告白も,決して珍しいことではない.

この流れは,未来の姿なのか,北欧独自の姿なのかはよくわからない.一般的には,血縁は重要であるという考え方も決してなくなっていない.最近のEconomistの記事に,性格や能力などの多くは先天的なもので,別の環境で育てられた一卵性双生児が,成人して会ったら驚く程類似点が多かった,という話があった.この手の話は,もう何度も報告されているけれど,倫理的には認められづらい話だからこそ,何度も何度もでてくる話題の一つなのかもしれない.これが正しければ,環境をいくら完璧に整えても,血がその子に影響を与えるということで,社会的弱者の子供は,他の家庭にもらわれていっても,負の遺産が付いてまわるという可能性を示唆しているからだ.

そうはいっても,デンマークは独自路線をいく.さばさばしたデンマークの家族観は,最近加速しているように思える.タブーはなくなり,自分が求める家族の形や幸せの形を個人が追求しているようだ.精子がなければもらえばいい,卵子が無ければ提供してもらえばいい.そんなデンマークで重視されるのは,「(自分が)幸せかどうか?」なのだろう.

そんなことを,福山雅治主演の映画そして父になるを見ながら,考えていた.多くの批評が,曖昧な結末であると不満を述べていたようだが,私は,良い結末だったと思う.結局,本人たちが悩み続けて解を見つける努力をするしかないから.悩んだ結果,ある人は,血がそれでも大切だと言うのかもしれないし,また別の人は,家族の絆が大切だというのだろう.どちらも正解で不正解でもある.

デンマークという全く異なる常識をもった社会に生きているデンマークの人たちは,「血縁」で悩む主人公を理解するのだろうか.もう少し,自分はどうしたいのか?子供はどうしたいのか?ということを問うのだろうなと考えていた.

書籍版「そして父になる【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)」も出ているそうです.