北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

デンマークのリビングラボ

 

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昨年末に執筆した記事が、デンマーク日本人会の会誌に掲載された。題して、「福祉テクノロジーを醸成、リビングラボの挑戦」。デンマークにおける福祉テクノロジー事情と新しい実証実験のカタチ「リビングラボ」について執筆したものです。見開き2ページの短い記事なのだけれども、新しい技術を社会に導入する際の課題はどのようなものなのか、さらに社会における技術の導入をより望ましい形で実現するためにデンマークが積極的に採用する方策「リビングラボ」とは何か、という社会的要素の強い先端技術の紹介と、リビングラボの導入的な記事になっています。

一部を抜粋すると、

技術的優位性があっても、その技術の本質が理解されるか、技術をうまく社会のニーズと融合させることができるかどうか以外と難しい課題である。技術を社会に導入するときの課題としては、技術の背後にある意図を、その技術を見ただけ、また時間の経過を経ずに理解するのは非常に困難である、また、状況を切り離して理解を試みても、本来の意味づけを理解するのは困難である、といった点が挙げられる。

技術と人との複雑な関係に橋渡しをしようとする興味深い試みが、北欧や欧州全体、そしてデンマークで盛んになっています。それは、技術を社会に大規模導入する前に、実際に生活の場やそれに近い形で、関係各所を巻き込んで使ってみよう、使い込んでみよう、そして改良してみよう。そしてそれを満足するまで繰り返し、トコトン最上の形を追い求めようという反復のイノベーションの試み『リビングラボ』です。リビングラボは、一般人を含めた利害関係者を巻き込むための工夫を提供し、長期的視点で社会の中の技術の位置付けを探る試みです。

さて、デンマークは、積極的に産官学連携を進めていて、実証実験なんかも積極的に行っているわけなんだけれども、最近、このリビングラボが産官学連携であちこちに生まれてきている。

タイミングよく、日本企業から依頼があり、2015年度に日本企業の依頼で、在外研究でいらしていたK教授と一緒に、北欧を中心とした欧州のリビングラボの現状を調査し、実際に足を運び、インタビューなどを実施してきた。年度末を控え、その報告書が完成間近だ。

リビングラボについては、知らないわけではなかったけれども、改めて調査してみると、本当に興味深いケースがたくさんあった。デザイナーのK教授と私の関心事は少しずつずれていることもあって、より広範囲でカバーすることができたと思っている。一般に公開できるようになるかはまだ未定だけれども、ぜひ多くの人に読んでもらえる形になってほしいものだ。そうなった場合には、また報告させてください。

今回の調査には入れることはできなかったのだけれども、そのほかにも面白いリビングラボデンマークにはたくさんある。特に最近興味深いと思っているものの一つは、コペンハーゲン市のスマートシティの取り組みだ(DOLLAlbertslund Living Lab, Lighting Metropolis, Gate 21Copenhagen Solution Labなど事例はたくさんある)。例えば、光に注目したDOLLは、街路灯などの光を活用し、情報ネットワークをメッシュに張り巡らせ、都市全体データ基地化してしまうという計画を立てている。コペンハーゲン市及び一帯には、何箇所もリビングラボが設立されており、オフィス街や住宅街の一角が、リビングラボになっている。光通信のハブが設置されている場所もあり、その光通信(Lifi<-WIFIならぬ光FIだ)を使って通信すると、スターウォーズ全6作、HDバージョンが、20秒でダウンロードできてしまう速度だそうだ。

光をゲートウェイにすることでできることがたくさんあるんだと、改めて感心。光通信素晴らしい!街路灯の取り換え時期を迎えたコペンハーゲン市は、インフラ再整備の一環として、将来を見越したネットワーク整備も同時に行っていて、こんなところに、フレキシブルで効率性重視、横連携を進めるデンマークの強さが見えるのかも。

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そのほか、リビングラボでは、ビックデータの活用なども一つの鍵となっている。例えば、Copenhagen Solution Labは、光というより、どちらかというとビックデータの街における活用が中心だ。

今後も、コペンハーゲン市ではリビングラボという器を使って先端的な技術が段階的に導入されていくことになるだろう。まだ利便性が保証されていないけれども可能性が高い技術やサービスの実証実験ができる場、リビングラボ。リビングラボは、コペンハーゲン生活をもっと楽しくしてくれそうだ。

 

 

UXマインドを組織に埋め込むには-レゴ編

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LEGOのUXシニアアーキテクトから、レゴ内部にいかにUXマインドを埋め込み、IT開発に活用できるような文化を創り出していくか、ということに関して話を聞いた。

デザイン手法を導入するのは、特に大企業が対象の場合は、長期計画で進めていく必要があるだろうけれども、話を聞いていて思ったのは、やはりそれなりの王道があって、その王道を地道にやっていくことが必要だということだ。

華やかに我々はデザイン思考を取り入れた!というのは簡単だけれども、一部の人がやりたい使いたいと思っていても組織の文化やプロセスを変えるには至らないし、それができなくては、大企業でデザイン思考を取り入れる価値は大幅に減少してしまう。

レゴの場合、学術的にも産業分野においてもUXをとことん追い求めた経験者が、マーケッタと一緒になって、UXマインドの組織への埋め込みを外堀から埋めていっているところが鍵になっている。

インターナルマーケティングを地道に続け、リーダーシップコミットメントを確保し、企業の作業プロセスに組み込むためのプロセスの変更、ツールの整備、そして教育プログラムや図書室などの見えるところの整備...、身近なところからできる工夫を地道に進めているところに、底力を見た。

ロケットサイエンスは存在しない。

コペンハーゲンの草の根教育


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デンマーク国民学校(義務教育の小中学校)は、朝8時から12時半(早くて)、もしくは遅くて14:30に終わる。男女ともに働く社会デンマークには、そのあと学童が提供されていて、この学童(SFOと呼ばれる)は17時に終了する。デンマークの教育費は無料と言われるけれども、保育園や幼稚園やこのSFOは、教育の枠組みではないので、有料だ。だから通ってない子供もいる。

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学校の時間がそれほど長くないし、学習塾などもないから、SFOに参加する時間は、膨大だ。今週一杯冬休みだったのだが、仕事は普通にあるから、休暇を取らない人たちや面倒を見てくれる人がいない場合は、一日中SFOに参加することになる。だからこそ、SFOの質がとても重要だ。我が娘が通うSFOは、先生たちも非常にフレンドリーで、家ではあまりやらない絵の具やら大掛かりな工作なども、大人数の効力か積極的にやってくれる。ありがたいものだ。
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同時に、最近はSFOにはもっと多様な可能性があるんじゃないかと考えている。例えば、オーフスの図書館は、多くの子供向けイベントを開催しているけれども、近所の学校やSFOと提携して出張イベントなどを実施したら、図書館アーティストやNPOなども活躍の幅が広がるし、子供もより多彩なアクティビティーに触れられて、創造性が発揮されるかもしれない。

最近友人と「理系的クリエーティビティを育てる」取り組みを小規模で進めているのだが、幼児期における理系教育は、ここデンマークでも限定的だ。デンマークも理系人材が足りず、外部から輸入している状況だが、このあたりテコ入れできたら面白そうだ。
我が子のためにも…。

デザインドリブンから揺れ戻し

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最近周囲のイノベーション関連組織(大学のインキュベーションやイノベーション推進組織)では、再度、理工系(STEM)分野への注目が集まっている印象を受ける。個人的な主観ではあるんだけれども、今まで私の周辺で見られていた「デザインシンキング」「今ある技術をいかに新しい組み合わせで提供するか」という、「デザインが全て(ま、技術は既存技術の組み合わせで行け!)」というアプローチから(いわゆるデザインコンサルってこんなアプローチ?)、古典回帰というか、「デザイン思考的なアプローチは重要だけれども、使い勝手なんかだけではなくて、ラディカルイノベーションによる新たな技術を作り出してなんぼ」。それが、国力に貢献する大きなイノベーションを創り出す源泉だ、という観点に変わりつつあるようなのだ。

デンマーク工科大学(DTU)は、STEMにフォーカスしたプログラムを地道に継続し、技術立国としての土台作りと底上げを狙ってるのは、以前にも何度か述べた(新産業を興すための仕組み)けれども、我がITUでも、社会学系の研究者は肩身が狭くなっている(実際、私はそうは思わないんだけれども。デザインは周辺で技術を支える重要な役割を持っているから。だから脇を固めるぐらいがちょうどいい。)というぐらい、大学の目標が新IT技術の創造に傾いている。スウェーデンのカロリンスカなどはライフサイエンスのエコシステムを強固なものに作り上げているし、米国や英国然りだ。

最近発表された米国の The demographics of innovation in the United States (feb, 2016)というITIFによる報告書も、STEMがイノベーションをもたらすこと、いかにイノベーションを促進するための手段を米国が維持できるか、という点が分析されていた。 直訳ではないけれども、面白いと思ったのは、おそらく執筆者の意見と一緒(流されてる?)、「学部中退者がイノベーションを成し遂げるという印象を昨今持つ人は多いだろうが、実際のデータを分析してみると、(STEM系イノベーターの)年齢の中央値は47歳で、仕事経験とSTEM分野における深い知見を保持している。イノベータは、高学歴であり、科学、技術分野におけるphdなどの高学位を取得している。」という点。

In high tech fields that require deep expertise, the average innovator in life science, materials science, and information technology is much older than the median age of the American work force.

ロケットサイエンスではダメで、地道にSTEM分野の研究者や実践者を育てることが不可欠なのだ、というメッセージなんではないかと思う。

 

ところで、日本は最近デザイン思考の話は良く聞くようになったけれど、「技術立国日本」の掛け声を聞かなくなってきたような気がする。一周遅れなのかな…。

 

良い写真ばかり使ってはいけない

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コペンハーゲンビジネススクールのウェブ(CBS.DK)改良に関わっていた同僚に聞いた話。

www.cbs.dk

 

最近、コペンハーゲンビジネススクールでは、ウェブサイトの改良を行ったのだが、写真の選定には非常に注意をはらったという。

ウェブに出てくる写真などは、一般的に素敵な選ばれし学生の写真が掲載される傾向にある。だが、実際に学生を呼び込む際には、キラキラ学生すぎる写真を掲載すると、自分とかけ離れすぎていると思われ、逆効果になってしまうのだそう。

そこで、CBS.DKに出てくる学生は、綺麗な服装の見目麗しい人ばかりでなく、普通の学生やちょっとヨレた服を着た学生なども登場している。

地に足のついたデンマーク社会ならではの傾向なんだろうか。

アジア人の見分け方

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(写真はプール併設のカフェ。本文と全く関係なし)
最近娘が水泳にはまっていて、時折近所のスポーツセンターに泳ぎに行く。家族皆で行くこともあるし、娘と二人で行くこともある。3歳の息子が一緒の場合は、浅い子供用プールだ。子供用プールも何種類かあって一番浅いところは、数ヶ月のベイビーもお父さんお母さんに抱かれながら、ぷかぷか水の感覚を楽しんでいたりする。
その日は、早朝に行ったので、いつもは順番待ちもよくあるその一番浅いプールも、先にいたのは父と6ヶ月ほどの娘の親子だけだった。その小さなベイビーの可愛らしいこと。仮にその子をソフィーと呼ぶことにするが、思わず父親の目を盗んでソフィーに笑いかけたら、笑い返してくれたどころか、手を伸ばして抱っこを求めてきた。
さすがに、ここで抱いてあげるわけにもいかないだろうと、そっとソフィーから離れ息子や娘と遊んでいたのだが、何せ小さいプールだ、ことあるごとに気がつくと近くにいるし、ソフィーも私のそばに来ようとする。父親は何かをソフィーに言い聞かせたり、私たちから離れたりしていたのだけれども、つぎに偶然近くにいて、ソフィーが私に抱っこを求めてきたときに、苦笑いしながら決まり悪そうに、この子の母親は韓国人なんだ、と言った。
いくら母親が韓国人でも、母を間違えるか?と思ったりしていたんだけれども、ある書籍に書かれていたベイビー実験を思い出した。赤ん坊は、小さい頃は、猿山の猿も個体識別できるらしい。それがしばらくするとできなくなる。これは何を意味しているかというと、猿の識別に欠かせないなんらかの要素はいらない能力と判断されてアクティベートされなくなるのだそうだ。
もしかしたら、ソフィーの周りには、お母さんしかアジア人がいないのかもしれない。

人は変わらないのか?

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文化は気がつかないうちに、肌の隙間から入りこんでいく。だからこそ、海外の生活で自分は変わらないつもりでも、いざ母国に帰国してみると、違和感があったり、考えに変化が生じていることがある。そんなことに気がつかされて、日本滞在の折は、自分の知らないうちの変化に戸惑いを感じたりする。

さて、コペンハーゲンの日本人の間で話題になっている「ラーメンとビール」に行った時、日本人シニア婦人達の団体に会った。食券機や自販機があり、日本語もあちこちにある店内で、ちょっと違和感ありつつも「まるで日本」を味わいつつ、腰掛けて注文を待っていたら、ざわざわと団体がやってきて、瞬時にそこは、まさしく、現代の日本になった。

興味深いのは、その人たちの態度が、まさしく日本で見られるシニアグループのそれだったこと。さらに、その人たちがどうやら住在歴の長い日本人で、デンマーク語を話していたところからもそれなりに、デンマーク生活に慣れ親しんでいる人たちのように見受けられたことだ。デンマーク人シニア婦人たちの団体も時折見かけることはあるけれど、そんな雰囲気を醸し出してはいない。おそらく彼女らも、一人で店を訪ねる時は、全く違う行動をするのだろう。

私は、海外に住んでいると、気づかないうちにその社会に適合するための変化は避けられないと考えるようになっていた。でも、今の時代、変わらなくて済むような生活も送ることができるし(がっつり日本人コミュニティーで生活するとか)、同窓会などで高校の友人に会うと高校時代に戻るように、日本人同士で会うと、すっかり日本人に戻ることは造作無いことなのかもしれない。