北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

リビングラボの肝

f:id:jensens:20170322020618j:image北欧に移り住み、はや12。はじめは、ストレスだった現地の習慣が、知らない間に自分の習慣になっていることに気づいて驚いた。自分では、日本の感覚を持ちつつ毎日の生活をしているつもりでも、改めて意識してみると、意外に「自分が変わっていること」に気づかされる。

文化は、気づかないうちに皮膚に染み込んでいく。同様に新しいマインドセットは、当初は違和感があっても、本質的な利点があれば、知らない間に根付き、意識しなくなくなる。導入が難しいと言われているIT関連事項でも同じだ。デンマークに住んでいて、当初はややこしいと思っていたNemIDや番号制度、電子政府やセルフソリューションも強制的に使わざるを得なくて、始めたものも多いけれども、今はなくては生活が成り立たない。

35年の長期的なタイムスパンで、考える参加型デザインの手法「リビングラボ」のキモは、関わる人の意識を変えることだ。つまり、一般に言われるように、単にコミュニティを社会実験の場にすることが本質なのではないし、時間を短縮するためにマニュアル化するのであれば、それには意味がない。利害関係者を巻き込むための工夫や仕掛けは重要だと思うし、例えば一般人にデザインするプロセスに参加してもらうためのツールなどは多くの北欧の研究者が模索してきて今ではかなり充実している。だから、参加型デザインのツール・マニュアルなんかは、役に立つだろうなと思う。だが、本質的に重要なのは、それだけではないのだ。

リビングラボのキモは、「変える」という志向性が、軸の一つになっていることだと思う。新しい考え方を意識的に取り入れていくことで、無意識的に活用できるまでに落とし込み、使っている人たちが知らず知らずのうちに社会変容をもたらしていくアプローチだ。無意識の慣れ段階にまで到達しないと社会変革は起きないんじゃないかと思う。

クラッチの踏み方を考えながら運転する運転初心者から、運転していていることを意識することなく、ギアシフトを意識しなくなるステージに移る感覚だろうか。運転に注力しなくて良いぐらいの「慣れ」が得られて初めて、景色を楽しみ、旅先の交流を楽しむステージに移っていけるのだろうと思う。

そんな場を作るには、デザイナは必要だ。意識変革を促すデザイナそれが、リビングラボのデザインであり、私はそんな思いで社会課題の解決を目指して、長期的な視点で、リビングラボに取り組んでいる。

時間はかかるけれど、急がば回れの心持ちで、未来に残るものを創り出すリビングラボのプロジェクト。同じようなモチベーションで、一緒にプロジェクトを進めたいという人やプロジェクトや場が増えきている。嬉しいことだ。

男性を子育てにコミットさせる方法

f:id:jensens:20170316233652j:image最近、「デンマークの家族」とその変容に関する英語・デンマーク語の文献を読み漁っていて、デンマークをはじめとした北欧の家族の変容に改めて驚かされている。60年代以前は、できちゃった婚がすごく多かった(社会的に結婚せずに出産するということが認められていなかったから出来ちゃった時にかけこみ結婚するということ)社会であったにもかかわらず、今は、男性いらないという女性が種だけもらって出産するなんてこともよくあるケースだ。60年(1.5世代ぐらいで)でそれだけ変わったということに驚きを禁じえない。

そんなちょっと日本の先行く社会だからこそ、どうしたら男性が子供の面倒を見るようになるかとか、そんな研究も散見されてとても興味深い。文化差はあるかもしれないと思いつつも、アニマル人間としては、共通する部分もあるんじゃないかと思うのである。

例えば、女性は、男性に対して単に子供を認知するだけではなく、子供が欲しいという欲求を期待し、この欲求を「愛」であると認識するという。つまり、「子供が欲しくないってことは私を愛してないのねっ」「二人の子供が欲しいってことは、私をそれだけ気に入ってくれているんだわ」と女性は、考えがちなんだそうだ。

また、同じ研究でおもしろいと思ったのは、『女性の欲求の結果、子供を持つようになったカップルは、子育ては女性側が主要な担い手であるという認識を持ちやすいが、父親が子供を求めた結果、子を授かった場合には、子育てを平等に分担する(もちろん事例は北欧のケースなので、あしからず)』という研究結果だ。つまり、男側が「子供が欲しい」といった結果、子作りをすることになったケースの場合は、子供が生まれた後に、男性が子育てにコミットしているということらしい。

ただし、一般的に男性の方が少ない数の子供(1-2人)を求め、女性の方がより多くの子供を欲すると言われている(オーストラリアの研究だけれども)から、たとえ男性が子供が欲しいと言って家族計画を実施したとしても、女性と男性の子育てへの負担や義務感は、アンバランスにならざるをえないようなのだ。「俺は一人で十分だったのに…」とか。

このようなことが研究によって明らかにされつつあり、これらの知見は、少子化対策として活用できるんじゃないかと思う。例えば、国が子育て支援政策として女性支援やバラマキの代わりに、子供が欲しいという男性側のニーズが確認できるカップルを優先して育児支援するとか。

他にも、なぜ北欧の男性は子育てをするのかという疑問に、面白い視点が多々見られる。こちらは、また別の機会にまとめたいと思う。

デンマークのリビングラボ_2017

 

f:id:jensens:20170312060808j:imageこの10日間ほど、機会あり北欧の様々なリビングラボに関わる人たちや場や、北欧のリビングラボに関心のある研究者と話す機会があり、「デンマークのリビングラボ」について改めて考えていた。リビングラボは、実際の利用の場を実験の場にしてユーザや関係各所を巻きこみ自分ゴトと認識させて、未来のシステムを共に創っていくアプローチで、今の私の研究の中心だ。日本でも近年注目されているみたいで、先週だけで日本から5件の問い合わせがあった。

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デンマークの医療は本当に悪いのか?

f:id:jensens:20170314062732j:image待ちに待った病院でのようやくの検査(以前の記事:デンマーク医療にまたしてもやられた...ているデンマークの病院のサービスの質についてなどなど)は2016126日だった。その次の検査は、219日、そしてつい先日37日。さらに今後20日にはMRIの検査があって、春のうちに手術をしようという話になっている。

201653日にコペンハーゲン唯一の眼科グローストロップ病院で手術し、調子が悪いと病院にコンタクトを試みてから、すでに1年ほど経っている。初めに目に障害が出てきた2015年秋から昨年5月の手術に到るまで半年程、それからほぼ1年が経過しているから、約1年半、不安定な目の状態で過ごしてきたことになろうか。

私よりも、もっと大変な症状を抱えている人もたくさんいるのであろうけれども、この1年半程は今思い返しても大変だった。今でも状況は変わっておらず、毎日の生活が大変なことに変わりはないのだけれども、一度この時点で考えていたことをまとめておきたいと思う。

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私は、生き残れるか?

f:id:jensens:20170304022922j:imageデンマークのDRという日本のNHKのようなチャンネルで、2ヶ月ぐらいかけて、Alene i vildmarken(荒野に一人っきり:超訳)という番組をやっていた。一種のリアリティチャンネルなんだけれども、設定がデンマークらしい。北ノルウェーの川べりに、お互いに見えないぐらいの間隔(15キロぐらいだったかな)で十人のチャレンジャーが送られ、一人で自給自足の生活をする。自然豊かなノルウェーの自然の中(冬も間近)でのサバイバル生活。

食事は持参することはなく、自分で獲得しなくてはならない。鹿もいるのだがどうやら狩りをしてはいけないルールで、川に生息する小魚と採集(ブルーベリーが主)で腹を満たす(満たせない…(。-_-。)。持っていけるものも限られているが、サバイバル道具をリュックサックいっぱいに持参でき、ナイフやら寝袋やら、最低限のものは一応持参する。

(この先ネタバレです)

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(社会)民主主義的グループワーク

f:id:jensens:20170222054748j:image今期も受け持つことになった「企業とのコンセプト開発」と名付けられた授業は、半分レクチャー、半分企業が出した課題解決を進めるグループワークで構成されている。
本日は、グループワークの進捗報告第一回目だった。
各グループと30分ほどのミーティング時間を持つが、全11グループあり半数でも結構骨が折れる。まだ授業は始まったばかりということもあり、際立った問題は、まだ出てきているわけではないが、霧の中を手探りで歩き回る状態の学生からは、不安の声がちらほら聞こえる。これは、昨年と変わらない光景だ。
今回のグループの中にひときわ特徴的なグループがあり、非常に面白かったことがある。グループ運営をどうしたいか、まず話し合ってもらったのだが、このグループだけだいぶ変化球で返してきた。
グループワークは、まぁ大抵4ヶ月の一学期間の間に、衝突が見られる。見られないほうが不思議なぐらいだ。フリーライダーや、遅刻常習犯、提出がいつも遅れる人もいるし、アウトプットの質や方向性がまとまらないこともある。グループワークなので、連帯責任で、この辺りはデンマークらしくない折り合いのつけ方に思えていた。
授業では、グループワークの役割(いろんな人がいろんな定義を出している)をそれぞれに自己分析してもらい、その役割をチームの中で果たすようにと言っているのだが…、このチームはこのカテゴリ分けを拒否して、自分たちは、デンマークの民主主義的方法で進めたいと言ってきた。役割分担をするのではなく、平等にタスクを割り振る。リーダーを決めずに皆がリーダーになる…。オルフェウス(NYの交響楽団で、指揮者がいない)みたいですね、と言ったら、まんざらじゃない表情だった。
デンマークの教育方法や社会の仕組みは、北欧独特なものが多々ある。ただ、大学に入ると、その独自性がなくなっていくように思う。海外のよくできた理論を造作無く取り入れ、使いこなすデンマーク人のスキルは大したものだが、理論化されてなくても、肌感覚にあっている方法というのがある気がする。理論化しないと使えないのはわかるのだが…、よりフィットする方法があるにもかかわらず、デンマークの大学で海外の理論ばかり教え込むのはもったいない気がしていた。北欧由来の参加型のデザイン手法も一見とっつきにくい、わかりにくい部分が多いからか、昨今デザインシンキングに押され気味だ。
「自分たちには、馴染んだデンマークのやり方がフィットするように思う」と言ってきた学生グループの3ヶ月後のアウトプットに乞うご期待だ。

カロリンスカがすごい

f:id:jensens:20170214194340j:imageスウェーデン-ストックホルムにあるカロリンスカ研究所(Karolinska Institute)は1810年設立の国立医科大学で、医学系の単科教育大学としては世界最大と言われる。こちらが教育機関である一方で、ストックホルムエリアの自治体の公立病院として、カロリンスカ病院(Karolinska Hospital)がある。この二つの組織は協力関係にあり、物理的にも関係性もとても近い関係を維持している。一つの通りを隔てて、片方に大学とインキュベーションセンター、大学の研究棟、もう片方に病院と病院側の研究棟が並ぶ。大学の研究棟と病院の研究棟は、遊歩道で繋がれていて、その二つの組織の強いつながりを示していると言えるだろう。周囲には、医療品、医療機器のメーカのビルが立ち並び、スタートアップのビジネスセンターも徒歩圏内にある。それが、カロリンスカのエコシステムだ。このエコシステムには、とても感銘を受けたが、最近の注目はなんといっても新カロリンスカ病院だ。

新カロリンスカ病院は2001年ごろに計画され、2018年に完成することになっているが、一部がすでに建設事務所から病院側に譲渡され、利用が始まっている。この新病院、構想を聞いた当時から注目していた。予算規模もさることながら、病院運営の思想が斬新なのだ。以前訪問したのは、新病院建設中の15年秋だったから、あまり具体的なことは聞けなかったものの、今回の訪問は多くの点で目から鱗の話がたくさん聞けた。

新カロリンスカ病院で最も注目されるのが「patient first」の思想で、その徹底度には、ほんと感心させられる。例えば、がんなどで治療に来る患者のことを考えてみよう。患者ケアの一環として、家族のケアが柱の一つとなっている。個室(全部屋個室)には、家族用のベッドもデフォルトで設置され、家族がいるのが普通の姿として描かれる。(ガンなどのような)大きな病気の場合は、本人ばかりでなく家族の関与が非常に重要になる。それが患者の回復を支えるのだ、といったような考え方とでも言おうか。治療チームが集まり治療前のブリーフィングが行われるが、そのブリーフィングは、患者と家族を囲んで患者自身の病室で実施される、これも斬新だ。近年ようやくチーム医療が注目されるようになってきている日本の状況の一歩先を行っていることは間違いないだろう。

他にも色々と注目したいことはあるのだけれど、中でも、長期的なパートナーシップに基づいたイノベーションを進めていこうとしている点は、特に興味深い。例えば、建設を請け負ったスコンスカは、構想、デザイン段階にも大きく関わり、入札したのちは、建設と同時に25年のメンテナンス契約を結んでいる(これが条件だった)。つまり、スコンスカは、この枠組みで病院建築を進めることで、巨大病院を建てて終わりという通常の建設業の論理は使えなくなった。たとえ建設費に反映されることになったとしても、長期的な視点で資材を選んだりメンテナンスがしやすいようなデザインにすることが必要になる。このようにサステナビリティを考慮することが、長期的には費用削減につながり、関係性向上が達成できる。

新カロリンスカ大学病院側のスタンスも徹底していて、「製品を売りに来る企業に、もはや関心はない」と明言している。今あるものではなく、また、どこにでも使える汎用的なものではなく、新しい医療のスタンダードを創っていくという気概のあるパートナーを求めるという姿勢だ。今後の医療に必要なものは今の姿ではないという認識があり、未来の医療を形作ろうとする気概、そんな強い意志がカロリンスカ全体に広がっている。

関連各所が一緒に模索しながら創り、その創ったもので場を変え、プロセスを変え、人を変えていく。そしてまた新しい形を共にデザインしていく。まさに、一方的なデザインの押し付けではなく、相互の関係で構築されるデザインを追求する北欧デザインの本質を示しているなぁ、と病院建築を見て考えさせられた。