「熊と踊れ」と安心感の強奪
北欧ミステリーという分野があるようで、近年、なかなか興味深い作品が発表されている。私の能力では、デンマーク語やスウェーデン語でミステリー小説を読みたいという気にはなれないのだけれども、実際に読んで(日本語で)みると現在の北欧の社会問題が下地になったストーリーが多くしかも知っている場所がよく出てくるから面白い。で、翻訳してくれる人・会社にはとても感謝だ。ありがとう。
最近読了した熊と踊れ(上)・(下)(ハヤカワ・ミステリ文庫)も、ストックホルムの移民が多数住んでいるエリアやゲットー、そこで暮らす移民などの描写が生々しくて、読んでていて苦しくも先が気になって年末年始にかけて夜な夜な読んで寝不足になった本だ。「スウェーデンを震撼させた実際の事件をモデルにした...」が特に読んでいる途中にも気になって仕方なかった。
本を読みながら一番心に残ったのは、次のくだり。
強盗犯は、金庫室から札束を奪うだけではない。あって当然だと誰もが思っているもの、失って初めてその価値がわかるものー安全を、安心感を、永遠に奪い去る。来たる裁判で審理にかける罪状は、本当なら"強盗"ではなく"安全の強奪"であるべきなのだ。
12月の初めにコペンハーゲンで携帯電話とお財布を街中しかもいつも通る場所で盗られた(このことについては以前書いた「コペンハーゲンで盗難にあう 」)。そのあと、しばらく同じ場所に行くと緊張するし、なるべく通らないようにしていた。これは、まさに安全を、安心感を、(永遠に)奪い去られた感覚だった。なんでもない場所だったのに、突如として警戒感を最大限に高める場所に変わってしまったわけだ。
昔、家に空き巣に入られた時もしばらく同じことを思っていたことを思い出した。あまり注目されない「罪」だけれども、もっと注目されて、サポートされるべきことなんだろう。
それはそうと、最後まで「熊と踊る」という例えがしっくりこなかった。日常生活で熊を見ているスウェーデン人(がどれぐらいいるのか知らないけれど)には、身近に感じる例えなんだろうか。