最近、読んでいる本「突破するデザイン あふれるビジョンから最高のヒットをつくる」を読みながら考えていたことと、最近目にとまったブログ記事「3つ目のデザイン」と、ちょっと昔に上平先生と話していたことが、リンクした。
「デザイン」は、「動詞」である。「する」ものである。絶え間ない<動き>である。
もちろん、デザインは、最終的に、なんらかの「カタチ」を介して、何が届くか、というものである。...「カタチ」へと顕す・可視化する行為(=カタチのデザイン)はとても大事である。これを、「第一のデザイン《カタチのデザイン》」と呼ぼう。
...カタチへの姿勢が真摯であるほど、カタチ(=量で計れるもの)の背後に、夥しい「質への問い(探求)」という行為がある。これを、「第二のデザイン《価値のデザイン》」と呼ぼう。
常に、「だれがその一連の行為を担うのか」「だれがそうしてできあがったものを育てるのか」「だれに届けるのか」という課題が突きつけられる。
(一時的な予算で<主体者不在>でつくられた商品・サービスが育てられることなく消えてゆくのは残念ながらめずらしくない光景だろう。)「価値のデザインからカタチのデザインへ」と至るプロセスが途切れることなく、常に変化しながららせん状に生成する動き(ダイナミズム)を支える土壌、、、主体者たる担い手たちの関係性を編むデザイン(=動機のデザイン)が常に求められる。
「3つ目のデザイン」
リビングラボってなに?と聞かれた時に、どのように言えばより理解してもらえるのか、そんなことを最近ずっと考えているんだけれども、この動機のデザインを支援する枠組みと説明できるんじゃないだろうか。
それにしてもデザイナーの可視化能力のすごさには感服されられる。ブログで表現されていた図を大きく印刷して研究室に貼っておきたい気分だ。