北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

参加型の目的はエンパワーメントであるという傲慢

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12月初旬、記念すべきデザインワークショップを日本の共同研究者と異動先のDTUで実施した。このワークショップは、北欧のかなりエッジの効いた私も会ってみたかったデザイン研究者や今までに強い印象を持った実践家たちを集め開催したものだ。いろいろと学ぶ所や考える所が多かったが、何よりも、Mads Hobyeという研究者兼実践家兼メーカーズのような方が非常にディスラプティブで素晴らしかった。Madsに振り回されっぱなしの1日になったが、いやはや、言うことなすこと、どれも心に刺さりまくりで、今まで思っていたけれども口に出しちゃいけないような気がしていたことをズバズバと言い続け、私も自分の考えに自信を持とうと思った次第だ。とくに再考したいとおもった言質をいくつか挙げると、こんなこと。

  • ポストイット死ね (Fuck Post IT)
  • Empowerment → Learning そしてCommunity of Practiceのほうが重要だ
  • Participationって何?

ポストイットは、便利に思えるけれども、どれぐらい有効に使われているんだろうか?使っただけで満足していない?

Empowermentって、非常にColonialisticだよね。上から目線が強すぎやしないだろうか?

参加するって、様々な形がある。北欧の参加の仕方と日本の参加の仕方はかなり違うけれども、「参加」であることには変わりない。結果は同じ場合に、同じ「参加」が必要であるとは、必ずしも言えない。

これらの挙げてくれたポイントについては、今後の論文で明確に論じていきたいと思う。