北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

デンマークの大学で雇用面接を受けた時の話

f:id:jensens:20200615043014j:image
大学でのキャリアを考えて何度かデンマークの研究職の公募に応募した。これは、その時の話。
 
第一関門は書類審査。大量の資料を準備する。典型的には、5本程度の論文、業績リスト、そのほかのリスト、なぜ応募したいかを書き連ね、推薦状を添付して提出する。たとえ、定期的に業績リストをアップデートしていたとしても、対象のポジションにパーフェクトに沿うように修正を加え、加筆する必要がある。私の経験では、すでにあるベース資料をもとに、申請書を仕上げるのに少なくとも1週間はかかる。
申請書類は、ポジションに応募する資格があるかどうかを(おそらく)複数人で評価している。その評価書は、なんと応募者に開示される。評価書は1ページ弱で、論文の評価、クラス運営に関する評価、研究業績に関する評価などが客観的に記されることになる。その評価書で面接に呼ぶかどうかを決めることになるのだが、書かれている内容について応募者は異議申し立てをすることができる。他の国で応募したことがないので、比較はできないけれども、とてもデンマークらしい。以前、他の候補者から異議申し立てがあったために再評価をする必要があるということで、面談時期が伸びたことがあった。
 
評価書において、応募資格を適切に満たしていると認められた人の中で、さらにふるい落としがあるようだ。面談に呼ばれるのは、3-5人と狭き門だ。
 
面談に呼ばれると、5-6人の教授陣の面接官が並ぶ中で、30分ほどの面接を受けることになる。学部長や授業担当、研究担当、そのほかの教授が並ぶ中、なんと現役の学生もいる。学生が教師を評価することは、デンマークの大学では普通のことだけれども、雇用プロセスにも学生の代表が呼ばれるわけだ。
 
事あるごとに、デンマークの民主主義の浸透度には驚かされる。明らかに、デンマーク社会の根底に流れる一つの思想として重要なものに「民主主義」があり、それを守るためにあらゆる場所に仕組みが根付いているのだ。「民主主義」はともすれば脆いものであるという認識があり、その脆さを補うための仕組みを社会のあちこちに根付かせている。その北欧が誇る政治の透明度も民主主義の原則から考えたらあるべき姿の具現化に過ぎないし、討論をしダイアローグを重ねるのも民主主義である所以だ。弱者となりがちな人の意見をすくい上げるための仕組みがあり、それを機能させるためのプロセスがある。最終判断を個人に仰ぎ、当事者意識を持たせるのも、民主主義に重要な観点だ。香港で長期にわたるイギリス統治下の際に積み上げられた「民主主義」は、暴力的な動きに発展しているようで懸念を覚えるけれども、声を出すということを諦めない香港の人たちの中には、まだかろうじて形が残っているように思う。
 
日本社会の根底には何が流れ、何が共有されているんだろうか?日本が未来に残していきたい柱はどこにあるんだろう。わびさびなんだろうか?忖度なんだろうか?