北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

オープントーク

f:id:jensens:20160212054941j:imageMr. Darcyは、自分の身内に起こった不幸な出来事を公にしないことで家族の名誉を守ろうとしていたけれど、そのMr Whickhamの悪事を他の人が知る機会を作らなかったがために、結局同じような出来事が主人公の妹に降りかかることになってしまった。

最近、イギリス文学の古典Pride and Prejudiceのある1シーンをことあるごとに思い出す。被害を受けた人たちが、声を出していたら起こりえなかった悲劇は、あらゆる状況で起こりうる。Pride and Prejudiceで話されているほど重大なことではないけれども、同じようなことが以前我が身にも降り注いだ。そのことは、前にも多くの人に話したし(デンマークのインター幼稚園)、その時も今でも、その馬鹿話をするのは非常に自分でも情けないのだけれども、同じ悲劇を繰り返さないためにも、時には記録に留めておくのは重要なことなんだろうと思うことにしている。 

つい最近、その園で仲良くしていたオランダ人夫婦と話しているときに(親同士は園を離れても仲が良い)、その噂の幼稚園(Children's Garden International Preschool Copenhagen Denmark)のMs. Tina先生が園を離れていたことを知った。私たちは、彼女の教育者としての腕にとても尊敬を覚えていたからこそ、退園を一時は考え直し、退園後は彼女の指導を受けられないことが一番悲しいと思っていた。だけれども、これで、あの園に思い残すことは何一つなくなった。

なぜ、私はその幼稚園に愛する息子を通わせたのか、さらにMs. Tinaもその幼稚園で働こうと思ったのだろうか。私は、その園に通っていた2人の日本人にその園の評判を聞いて、前もってとても良い園らしいという情報を得ていた。でも、今から考えると、彼らには"自分の子供が入っている園を悪く言いたくない"という気持ちが強く働いたんじゃないかと思っている。もしくは担任の先生がとても良かったので、それでよしとしていたか。私の知るその2人は、どう考えてもあの運営者に納得するには、教育に関して真剣に考えている類だったし、英国の教育に関して知見がないとは思えないからだ。もし、私がその人たちに「子供を通わせたいと思うからどんな園か聞きたい」、と問い合わせたらまた返事も違っていたかもしれないと思う。

私たちは、自分の所属している組織のことをできるだけ悪く言いたくないと考える傾向にあるんじゃないだろうか。さらに、知られたくないことには口を噤む傾向にもあるかもしれない。これは個人にとっても社会全体にとっても大きな損失だ。

お別れの作法

f:id:jensens:20160207194711j:image土曜日の明け方、夜明け前、4時間車を走らせて、デンマークの最西ユトランド半島のStruerに向かった。友人の父親のお葬式に参列するためだ。正確には旦那の幼馴染のお父さん。以前、迷った末祖母のお葬式に駆けつけず、あとから後悔した思い出があるので、迷っているなら行こうと旦那を促し、前日にユトランド半島への小旅行を決めた。


人生イベントに関わる社会行為にはたくさんのコードが埋め込まれている。お葬式はその最たるものだろう。誰も説明しないけれど、ルールを皆が知っていて、決められた筋書き通りに淡々と物語が進んでいく。異なる社会文化から来たものにとっては、不可思議なことだらけだ。
 
半旗を掲げた教会に入ると、玄関口に親族のいわゆる喪主が立っている。ここでは、他界された方の息子と2人の娘が並び、お悔やみを述べる客たちと挨拶を交わしていた。参列者は、教会に入り、他の近親者(妻、夫や子供達)に挨拶して、着席して式が始まるのを待つのだ。話すときにはヒソヒソ話、子供も雰囲気を感じてか、ヒソヒソと話しかけてくる。席次に関しては、大抵、左前方には、近親者が並ぶことになっているようだが、あとは比較的自由。かつては、身分や社会慣習で並び方が決まってたんだろうけれども、この国にはその片鱗もみられない。雰囲気を最も変えるのは、通路中央にに並べられている献花だろう。その脇を通って、参列者は席に着く。
 
式自体は一般的なデンマークキリスト教の歌ミサと大して変わらなかった。ところどころで歌を歌い、合間にミサや説教が入る、あの一般的な形だ。お葬式ということで荘厳なイメージは付加されていたとはいえ、デンマークプロテスタントのミサ自体が、カトリックのミサとは大きく異なっていて、まさに民のために整えられた社会行為なんだろうなという印象は薄れない。おそらく権威を象徴し荘厳に全てのプロセスを進めるカトリックと、清貧を重んじより民に近い方法を考えながら教えの伝播を志向していたシンプルかつプラクティカルなプロテスタント式の違いなんだろう。いずれにせよカトリックプロテスタントもおおよそのコードが分かっていれば、恥ずかしくない程度に流れに乗って式に参列できる。つまり、壁には「本日の歌」が番号で明示されているし、ご起立くださいという合図で皆が立ち上がり、お座りくださいで座席に再び着席する。式で唱えられる祈りも主の祈りなどの典型的なものだ。
 
今回も非常に典型的な式次第だった。開始の挨拶、牧師の悼辞、説教、閉式の辞。間に4曲ほどの関連する歌が歌われた。最後は、身内が棺を両脇から持ち上げ、中央通路を通って外に出る。この時は、子供も孫も…皆でお見送りだ。献花の上を柩が通るその様子がもっともプロテスタントの式で荘厳な瞬間に思える。献花の上を通るのは、その日の主人公だけ。その後ろから、献花の両脇を参列者が続き、教会から出ることになる。その後、教会のすぐ脇の敷地内に横付けされた霊柩車(特別仕様の、外からも棺が見えるベンツのワゴン車だった)に棺が入れられ、火葬場に向かう車を皆で見送った。
 
その後、通常故人を偲ぶお茶会が、教会に併設されている集会所で実施されるが、その名の通り、お茶とコーヒーとケーキやクッキーが供される。故人を偲ぶスピーチが繰り広げられる以外は、一見、普通のお茶会だ。いや、年齢層も様々なので、やはり少々違和感があるお茶会なんだろう。デンマークのイベントごとではもちろんスピーチは欠かせないが、こういった時間は、故人との楽しい思い出の共有の時間だ。こうやって、皆で集まって1人の物語を編み込んでいくプロセスは、デンマークらしいと思う。
 
初めてデンマークでお葬式に参列した時、驚いたことはいくつもある。例えば、故人への最後の御目通りはないということ(教会内の祭壇前に棺が置かれ参列客は最後のお別れをする機会はない。運び去られるときに棺は見ることはできてもお顔を拝見する機会はない)、火葬場まで一緒に行かないという点だ(誰も家族はみないんだろうか?)。かつては違ったのかもしれない。土葬の頃は、実際に埋めるところまで同席したんだろうし、式の間、棺の蓋が空いている場合もあると聞く。今でもそのように棺をあけていたり、土葬をするところまで付き添っていくエリアもあるのかもしれない。
 
静かに荘厳に美しく…の葬式もきれいだが、時折故人を思い起こしながらもどんちゃん騒ぎの飲み会や、ちょっとした愚痴やバカな思い出話しが出てきて、打ち上げ花火のように人生を締めてもいいな、と思うのである。デンマークのお別れの仕方は、私にとっては、社会的にも、区切りをつけるためにも重要だと思っていたことがことごとく実施されない、驚愕のお葬式なのである。
 

ユーザ参加がいつもうまくいくわけではないという事実

f:id:jensens:20160204022626j:image北欧の参加型デザインやCoDesignの話をすると、「いゃ〜そんなの日本では無理ですよ」という反応を示されることがある。立場や目的の違う人たちが集まって解決策を考えるという枠組みに、日本のしがらみやら、上司と部下の関係やらが頭に浮かんでしまうのだろう。
北欧での実践報告を聞いたり、各種レポートを見ているだけでは、当たり前のように参加型が取り入れられて、ユーザのエンパワーなんかもうまく進められている印象を持ちがちだ。でもその実践を身近で見ていたり、関わっていたりすると、そんな美しいものじゃなくて、もっと現場は泥臭いものだったりするのが現実だということがわかる。
ユーザ参加と言っても、ユーザが集まらなかったり、集まった人たちがあまり乗り気じゃなかったりすることもよくあるし、プロジェクトでリソースがつくから運営されているだけでプロジェクトが終わると消えて跡形もなくなくなってしまうなんてこともよくある。ユーザのエンパワーと言いつつも、主導しているのはデザイン研究者であることが多く、ユーザは誰もそんなの要求したわけじゃない、という状況だったりもする。報告や論文で参加者が抵抗している様子などが書かれていることがよくあるが、そもそもなんでやったんだろう?結局デザイン研究者の独りよがりじゃないんだろうか、と思わされることも度々ある。

おそらくユーザは、参加してみて初めて、自分で自分の生活に関わることをデザインをする楽しさみたいなものを理解することもあるんだろう。だからこそ、参加型を社会の隅々に取り入れていくのは啓蒙と同じで、社会が自律的にデザインを取り込んでいくためには必要なことなんだろう。
ただ、そのあたりの仕組みづくりを苦労して進めているのがデザイン研究者であって、全てが夢の世界のように仲良く手を取り合って進んでいるわけではないことは、よく理解しておかないといけない。

ウプサラでは、2度よりマイナス20度が好まれる

f:id:jensens:20160130222537j:image人の価値観や感覚は、時に想像の域を超えることがある。男女でも異なるし、分野が違う人も異なるし、更に日本とスウェーデン文化のような民族的な違いも大きい。

ウプサラは、ストックホルムより北に40分ほど特急電車で行ったところにあるが、今回ウプサラ訪問で一番記憶に残ったのが、ウプサラの人たちが、口を揃えて「こんな天気のときでほんと申し訳ない、残念無念」と言っていたことだ。

どうやら私たちが行く数日前は、-20度前後まで気温が下がり、雪も積もっていたらしい。私たちがストックホルムに到着する1日ほど前に気温が大幅に上がり、ウプサラ訪問時は、5度程と暖かく、霧雨が降っていた。"雨は確かに残念だけれど、マイナスは困るし、ましてや-20度は、ちょっと困る。あぁ、先週でなくてよかった"。と思ってた私としては、いく先々で「先週は本当に、ここらしい天気だったのに」とか「本当にこんな天気で申し訳ない」と言われるたびに、それはスウェーデン式ジョークでしょうか…、と聞きたい誘惑に駆られたわけだ。

何人にも言われたことで、ウプサラの人は本当に「残念」で「申し訳ない」と、"私たちのために"悲しく思っていることがわかり、ここでまた驚嘆させられた。

確かにグレーの天気と景色と、あちこち水浸しの街で、いい時期とは言えないかもしれない。確かに、クリスタルクリアな粉雪や、まるで空気が張り詰めるようなマイナスの大気を感じられるのは、嫌いじゃないし、残念だったとも言えなくもない。
ただ、感覚の違いの深淵を垣間見て、目眩を感じざるをえなかったことも確かだ。

ウプサラのイノベーションエコシステム

f:id:jensens:20160129021404j:imageイノベーションが生まれる場所には、どんな特徴があるんだろう。

参加型デザインは、かつてワークショップなどでの多様性を活用したイノベーションの手法として、興味深いと思っていたけれど、今は、より長期的な視点イノベーションを起こすための仕組みが必要なんじゃないかと思ってる。

デザインゲームワークショップに参加した人たちは、ほとんどが良かったと言ってくれる。でも、マインドセットの転換、思考の転換をするのは、その2-3時間のワークショップではどうしても無理だ。ワークショップのあと、皆、日常生活に戻る。結局、日常生活に戻った人は、ワークショップでスパークしたすばらしいイノベーションの方策を、日常業務や生活に取り入れることは、残念だけれどもほぼないんだろう。
だからこそ、長期的な方策としてのリビングラボに、今とても関心を持っている。調査してると、リビングラボを構築するにはどうしたらいいのか、ということが主眼になりがちだけれども、「生まれながらのリビングラボ」を理解する必要もあるんじゃないかと考えるにいたった。たとえば、シリコンバレーみたいな場所だ。何らかの場が持つ求心力によって、シリコンバレーはITハブになる。ITハブになって、優秀な人が集中して集まることによって、その場所がさらに磨かれITハブとしての駆動力や魅力がさらに増してくるような場所だ。
何がその場所を構成しているか、その構成要素をリストにしても意味がない。おそらくその場に見られる複雑系の関連性をリニアやネットワークで示せないものがある。それを、北欧の人はエコシステムと呼んでいるみたいだ。そのシステムを構成する要素は複雑に絡み合っていて、材料をぶち込んでガシャガシャしたからできるもんではない。人工的に作ることは多分無理でも、その生態を知ることは意味がある。おそらく。
ウプサラのサイエンスパークは、まさにそんな場所だった。
 

google サーチの限界

f:id:jensens:20160123064450j:imageコペンハーゲンで雪が降った。雪が降って、ソリ遊びしたいという子供にせがまれていくコペンハーゲンっ子に人気の場所、Frederiksberg have. フレデリクスベアの市民の憩いの場だ。夏は芝生に寝っ転がる人で溢れる、春と秋はランナーが。そして冬は、散歩の人たち。そして、雪が降れば、ソリ遊びを楽しむ子供たちと子供にかこつけて一緒にソリ遊びを楽しむオトナ。ここは、コペンハーゲンに住んでる人ならみんな知ってる有名なソリ場(?)だ。Googleすると、必ずトップに出てくる。我が家は、どちらかというと北に住んでいるので、都心を縦断して南西部のフレデリクスベアを目指した。雪が交通を遅延させ、ただでさえ混んでいるヤックヴァイを通って着く頃には、子供もすでに疲弊している。しかも人気の場所でごった返し、大人もはしゃいでいるもんだから、クラッシュが絶えずに、見ていて恐ろしい。
f:id:jensens:20160123063019j:image翌日、Googleさんでは出てこなかったけれども景観が好きでたまに行く北部の秘境Sofieholmに行ってみたら、なんとソリを抱えた親子が、たくさんいるではないか。確かにスロープがある広大な庭園のある隠れ美術館なんだけれども、隠れた地元のソリ場になっているのだろうか。ソリ人口ばかりでなく、前に広がる湖も続く零下の天候で凍り、スキーを楽しんだり、お散歩する人が湖を通っている。いつもと違う雰囲気を醸し出し、そこは一面のウィンタースポーズ場と化していた。
Googleは、素晴らしい。でも、知られてないいい場所を探すのは、得意じゃない。どうしたって、ランキングに出てこないsofieholmに、今回は軍配が上がった。

デジタルの受容度

f:id:jensens:20160118022316j:imageデンマークは先進国の中でも、特に社会において電子化が進展している国の一つだ。デジタルリテラシーも総じて高いと言われ、情報弱者は、8-90代のシニアや身体精神障害を持つ人8%ほどの人たちと言われる。

デジタル化の文脈では、例えば金融系の動きは面白く、カード社会はすでに80年代のダンカード(デンマーク独自のデビットシステム。今はVISAなどのクレジットサービスが付帯していることが多い。今でもデンマーク国内では、ダンカードじゃないと使えない店舗が多い)導入時に始まり、モバイルペイ(スマホベースの少額決済システム)の広がりで、現金を使う機会が極端に減ったことは、以前にも述べた(デンマークから紙幣やコインが消える?)。

ただ、時代に反して(?)自分のやり方を貫き通す人たちがいる。どんなにカードが便利でも、モバイルペイが浸透しても我関せずと、現金を持ち歩き、スーパや店頭で小銭を一つづつガマグチから出して支払をする人たちだ。その主張を曲げない彼等たち、別の名を「80-90代シニア」という。

なんでだろう?カードの方がわざわざ小銭を数える必要もなければ、記録も確実に残る。支払いは、カードを出して暗証番号を入れるだけで、紙幣や小銭をわざわざ引き出しておく必要もなく手間が省ける。モバイルペイは、小銭を持ち歩く手間をなくし、カードも、身体機能が弱ったり、小銭を確認することが難しいシニアにとって、細かい計算をしなくて良い、支援機器として活躍されるポテンシャルを秘めている便利な仕組みに違いないのに。

で、気がついた。一昔前に思えるカードの導入も、彼らにとっては、新しい物事を受け入れるのが困難になる5-60代に起こったことだということ。いくら便利と言われても新しい概念を受け入れる負担と従来のやり方を継続することを天秤にかけた結果、従来型をとることにした人たちなんじゃないだろうか。

もしこの仮説が正しければ、シニアにITを使わせるための試みがいかに無意味なことでありうるか、またいかにシニアに精神的負担を与えているかが、わかるというものだ。

北欧では、現在シニアにempowerment という文脈で、ITスキルをつけさせる、ITで毎日の生活支援を行うなどの試みが盛んだ。「毎日の生活を便利に」し、「孤独感を和らげるためのシニア版フェイスブック」や、孫とコミュニケーションをとらせるためのスカイプ風アプリなどもある。

ただ、彼らの多くは、自らの意思においては、生活習慣を変えず、カードの利用も避ける人たちだ。私たちが「便利だから」と考え、良かれと考えていることが本当に彼らの生活を向上させることにつながると、誰が保証できるのか。タブレットを使わせることは、果たしてシニアのエンパワーメントになりうるのだろうか。