北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

お別れの作法

f:id:jensens:20160207194711j:image土曜日の明け方、夜明け前、4時間車を走らせて、デンマークの最西ユトランド半島のStruerに向かった。友人の父親のお葬式に参列するためだ。正確には旦那の幼馴染のお父さん。以前、迷った末祖母のお葬式に駆けつけず、あとから後悔した思い出があるので、迷っているなら行こうと旦那を促し、前日にユトランド半島への小旅行を決めた。


人生イベントに関わる社会行為にはたくさんのコードが埋め込まれている。お葬式はその最たるものだろう。誰も説明しないけれど、ルールを皆が知っていて、決められた筋書き通りに淡々と物語が進んでいく。異なる社会文化から来たものにとっては、不可思議なことだらけだ。
 
半旗を掲げた教会に入ると、玄関口に親族のいわゆる喪主が立っている。ここでは、他界された方の息子と2人の娘が並び、お悔やみを述べる客たちと挨拶を交わしていた。参列者は、教会に入り、他の近親者(妻、夫や子供達)に挨拶して、着席して式が始まるのを待つのだ。話すときにはヒソヒソ話、子供も雰囲気を感じてか、ヒソヒソと話しかけてくる。席次に関しては、大抵、左前方には、近親者が並ぶことになっているようだが、あとは比較的自由。かつては、身分や社会慣習で並び方が決まってたんだろうけれども、この国にはその片鱗もみられない。雰囲気を最も変えるのは、通路中央にに並べられている献花だろう。その脇を通って、参列者は席に着く。
 
式自体は一般的なデンマークキリスト教の歌ミサと大して変わらなかった。ところどころで歌を歌い、合間にミサや説教が入る、あの一般的な形だ。お葬式ということで荘厳なイメージは付加されていたとはいえ、デンマークプロテスタントのミサ自体が、カトリックのミサとは大きく異なっていて、まさに民のために整えられた社会行為なんだろうなという印象は薄れない。おそらく権威を象徴し荘厳に全てのプロセスを進めるカトリックと、清貧を重んじより民に近い方法を考えながら教えの伝播を志向していたシンプルかつプラクティカルなプロテスタント式の違いなんだろう。いずれにせよカトリックプロテスタントもおおよそのコードが分かっていれば、恥ずかしくない程度に流れに乗って式に参列できる。つまり、壁には「本日の歌」が番号で明示されているし、ご起立くださいという合図で皆が立ち上がり、お座りくださいで座席に再び着席する。式で唱えられる祈りも主の祈りなどの典型的なものだ。
 
今回も非常に典型的な式次第だった。開始の挨拶、牧師の悼辞、説教、閉式の辞。間に4曲ほどの関連する歌が歌われた。最後は、身内が棺を両脇から持ち上げ、中央通路を通って外に出る。この時は、子供も孫も…皆でお見送りだ。献花の上を柩が通るその様子がもっともプロテスタントの式で荘厳な瞬間に思える。献花の上を通るのは、その日の主人公だけ。その後ろから、献花の両脇を参列者が続き、教会から出ることになる。その後、教会のすぐ脇の敷地内に横付けされた霊柩車(特別仕様の、外からも棺が見えるベンツのワゴン車だった)に棺が入れられ、火葬場に向かう車を皆で見送った。
 
その後、通常故人を偲ぶお茶会が、教会に併設されている集会所で実施されるが、その名の通り、お茶とコーヒーとケーキやクッキーが供される。故人を偲ぶスピーチが繰り広げられる以外は、一見、普通のお茶会だ。いや、年齢層も様々なので、やはり少々違和感があるお茶会なんだろう。デンマークのイベントごとではもちろんスピーチは欠かせないが、こういった時間は、故人との楽しい思い出の共有の時間だ。こうやって、皆で集まって1人の物語を編み込んでいくプロセスは、デンマークらしいと思う。
 
初めてデンマークでお葬式に参列した時、驚いたことはいくつもある。例えば、故人への最後の御目通りはないということ(教会内の祭壇前に棺が置かれ参列客は最後のお別れをする機会はない。運び去られるときに棺は見ることはできてもお顔を拝見する機会はない)、火葬場まで一緒に行かないという点だ(誰も家族はみないんだろうか?)。かつては違ったのかもしれない。土葬の頃は、実際に埋めるところまで同席したんだろうし、式の間、棺の蓋が空いている場合もあると聞く。今でもそのように棺をあけていたり、土葬をするところまで付き添っていくエリアもあるのかもしれない。
 
静かに荘厳に美しく…の葬式もきれいだが、時折故人を思い起こしながらもどんちゃん騒ぎの飲み会や、ちょっとした愚痴やバカな思い出話しが出てきて、打ち上げ花火のように人生を締めてもいいな、と思うのである。デンマークのお別れの仕方は、私にとっては、社会的にも、区切りをつけるためにも重要だと思っていたことがことごとく実施されない、驚愕のお葬式なのである。