"Parents Teacher Day!!"なるもののメッセージが父兄SNSに小学校1年生の娘の担任から送られてきたのは、1ヶ月ほど前だっただろうか。
木曜日から来週の月曜日まで、教師研修旅行でイタリアのフィレンツェに行くそうで、木曜日は、「保護者が先生になれる日!」いぇい…。「私たち教師はいないので、親たちで企画構成してお願いねっ」
オンラインでは、メールが飛び交う。数人の親が率先して、"じゃあ、私は音楽を教えましょう、私はサイエンス、私は体育を"...となるところが、デンマークらしい。そこで、何も言わずに沈黙を守る親がいるところも、これまたデンマークらしい。
デンマークの学校は、常時こんな風で、日本的感覚では、ゆる〜い学校教育であるのだけれど、それでも、一応動いて、子供は育つ。そんな学校の国は、一人当たりのGDPは日本よりもはるかに高く、幸せと感じる国民を創り出している。
同時にデンマーク的感覚を100%備えているわけではない私は、折々に触れ見聞きし、親としての(デンマークの)常識、義務への対処を迫られることに、大きなストレスを感じざるを得ない。同時に、デンマーク学校のユルさから感じる娘の教育への一抹の不安と、対照的なデンマーク教師のプロフェッショナリズム対応に目眩がしてくるわけだ。ある意味、他の親の対応からは、(1週間、研修旅行で、親にしわ寄せが来ても)社会的には認められる行為であることがわかる。「ミッドナイトセッション」チキさんのゲストにきていた哲学者の國分さんというかたが、イギリスの学校について報告していたが、形はどうあれ、教育ってその国の生き方に対する常識的価値観が如実に表れるようだ。
そして来週の月曜日は(まだ先生イタリアだから)休校。今からエネルギー蓄えておかないと。