北欧生活研究所

2005年より北欧在住。北欧の生活・子育て・人間関係,デザイン諸々について考えています.

デンマーク人の死生観

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大好きなラジオプログラムの「ミイラ研究最前線」と銘打った回を聞き、ミイラ研究の今を知る機会を得た。私は、ミイラと言われるとエジプトのミイラしか思い描けなかったが、ゲスト出演していた専門家によると南米、エジプト、ヨーロッパ、オセアニア、日本とあちこちからミイラは出土しているんだそうだ。興味深いなと思ったのが、それぞれ死生観が大きく異なり「肉体を残しておく」意味は様々だという点だ。

以前映画Cocoを見たときに、「死者の日」ってそんな意味があったんだとか、日本の祖先との関係では、お盆と似てるなとか思ったことを思い出した。南米の死生観から生まれるミイラとエジプトのミイラの違いには驚かされたし、日本の即身仏の成り立ちとの違いも興味深かった。 

 2019年10月22日に敬愛する義理の父を亡くし、26日土曜日には地元の教会でのお葬式があった。デンマークのお葬式に参列するのは今回で2回目だったけれども、以前とは比べ物にならない当事者感に包まれていた。当事者であったがゆえに、以前は気にならなかった点が今回はとてつもなく意味を帯びて、重くのしかかってくる。

一つ目:棺に花を手向けるという儀式。棺が教会を出て車に乗せられる際に、以前参列したお葬式では深紅のバラが配られそれを棺の上に載せるように指示された。特に疑問を持たずに、その儀式に参加したことを覚えている。今回は、義理の母の立っての願いで、それぞれの思いの詰まったものを事前に準備しておいて棺の上に載せた。手紙とか綺麗な石とか。お葬式の準備の会合の際の話し合いを思い出す。義理の母は、心のこもらない形式的なことが嫌だと主張した。誰かに渡された花を単に棺の上に載せるのってどうなの?と息巻く義理の母に反対する人はいなかった。

二つ目:ある宗派の牧師はお断り。キリスト教は一つと思う人もいるかもしれないが、全く違う側面のキリスト教を見てきた私にとって、デンマークキリスト教は、黒歴史にしか見えない。義理の父は、恐怖によって信仰を継続させようとしてきたキリスト教の被害者だった。

三つ目:棺が車に乗せられて去っていくのを皆で見送り、その後、参列者でお茶会をする。前回は教会の集会場だったが、今回は、参列者は、義理の父母の自宅に招かれた。義理の母は、義理の父が大好きだった魚肉ボールとレバーペースト、手作りのパンに、ケーキを大量に準備した。たくさんのワインとビールも。

葬式終了後、とてつもない虚無感と何かが間違っている感覚が強く残り、それは今でも私の思考の邪魔をする。「何かが間違っている感覚」はなんだろうと、しばらく考えていたが、昨日解明したような気がする。昔は土葬だったデンマークでも、今では火葬される。映画に出てくるような墓穴の周りに親族や友人が集まり棺が下されるのを見るような…、入れられた棺に花を手向け土をかける行為は、今や歴史の一幕。今の社会からは消えて無くなっているようだ。今のデンマークの葬式では、葬式後に教会から運び出された棺は黒塗りの車が乗せて何処かへ走り去っていくのだ。

色々と考えて見ると、私の「何かが間違っている感覚」、「引っかかる感覚」はここにあったみたいだ。棺はどこへいくのだろう、どのように燃やされて、誰が骨壷に入れて、誰がお墓に入れるんだろう?本当に義父はこのお墓に戻ってくるんだろうか?

日本のお葬式では、葬式後皆で火葬場に移動し、燃えるのを待ち、燃えた骨を皆で集め骨壷に入れる。日本で祖父が他界した時の火葬場で、骨を集める時に棺に一緒に入れて燃やした五円玉のチェーンなんかが骨の上に残っているのを見た。そして、だからこそ、祖父の体は、確かに燃えて灰になったんだと認識できた気がする。ある意味、少なくとも私に刻み込まれてきた「死」の理解と骨になり灰になった姿は、切っても切り離せないものになっているみたいだ。本当に他界したのか認識が追いつかない時期に、強制的に現実に向き合わせる一種の不可欠な儀礼なんじゃないかと思う。その儀礼がないまま、私の想いは宙ぶらりんになっているようなのである。

そういえば、デンマーク人と今まで人間の「死」について語ったことがない、ということも今回気がついた。あれほど死後の世界について語っていたキリスト教を嫌悪するようになった国民は、実は大切なのにこのトピックについて話す機会を失ってしまったみたいだ。「死」について意見を求めた私に対して、一人のデンマーク人の友人が言った言葉がある。キルケゴール実存主義は、「死への恐れ」から生まれている。死への恐れに向き合う代わりに、実存主義が生まれた。私にはまだわからない。そして、キリスト教における死の恐怖を知らない人たちが、キルケゴールの何を知ることができるんだろう。