デンマークのキリスト教は好きになれない
私は、幼稚園から高校までカトリックの学校に通っていたので、平均的な日本人よりはキリスト教に関する知識があるんじゃないかなと思っている。私にとって、キリスト教は「愛」や「助け合い」を説く宗教で、形式化されていることは多々あるけれども、それでもその本質は「罪からの救い」であり「愛や平和」の精神だと考えていた。小学校の高崎校長先生が、卒業記念に全卒業生にくれたリボンで作られた薔薇の束は今でも大切に保管してあり、そこには、「人生の夕暮れに問われるのは愛」と書かれている。
カトリックの教会は、ローマ教会を中心として、美しさや華やかさが漂う。教会の中では、呟いてもいいけれども、大きな声で話す人はいない。「心の中で神様とお話をする場所だから」と言われて育ってきた。教会はいつでもちょっとヒンヤリして、とても静かで、ステンドグラスを通って室内にきらめく美しい太陽の光や、白く高い天井、光り輝く金銀の装飾が相乗効果を出して、神聖な雰囲気が漂っていた。その神秘的な雰囲気が大好きだったし、そこでは、確実に自分一人の時間が取れるのが嬉しくて、教会に行くのが楽しくてしかたなかったことを思い出す。授業の合間に行くこともあったし、休み時間に一人で行くこともあった。私自身も魅了されたように、良くも悪くもカトリックの絢爛豪華な装飾は、人の心を集めるのに役立ったということもあるだろう。美しいものは、皆好きだ。
おそらく皆、世界史で習ったように、ローマ・カトリック教会は、教皇位の世俗化、聖職者の堕落などで批判され、プロテスタントが生まれた。プロテスタントは、華美を禁じたし、心の美しさが重要であるから、外面の美しさに固執してはいけないと教えた。キリスト教という縛りを使うことで、為政者が国を管理しやすくなったことは確かだろうし、キリスト教徒的生活を送るということは、清貧の思想に生きること、天国に行くための徳を積むことだったから、現在の生活が貧しくても、人は、あえてそれ以上を求めないようになっていった。
そのようなキリスト教国において、特に、北欧では、中世から近代にかけて「畏れ敬う」を超えて、罰を恐れることにのみ意識が集中していたように感じる。厳しい自然環境に置かれる今の生活は、自らの生まれ持ってきた罪の償いのため。厳しい自然環境の中で食べ物にも苦労する毎日の生活を過ごす北欧人の、楽しみは限定的で、皆で協力しないと次の冬が越せない。そんな時代にキリスト教があった。「神の意思に沿った」生活を送るキリスト者としての生活、沿わない者は咎められる…。
私は、そんなキリスト教国だった17世紀から20世紀中盤までのデンマークを経験しているわけではなく、宗教からの精神の解放後のデンマークにどっぷり浸かり、現代のデンマークに根付く自由意識や平等を当然のことのように享受してる。だが、開放以前の様々な北欧の資料や映画や書籍などを閲覧している時や、ちょっとしたきっかけで今も残る毎日の生活の隅々に広がるキリスト教の存在に気づく度に、キリスト教がこの社会にもたらした精神的重圧感の大きさに驚かされる。
映画や小説は、一つの貴重なリソースだろう。ARNという映画では、若いカップルの婚前交渉の結果、罰として女性は修道院に連れて行かれて生まれた子供は取り上げられ、男性は十字軍に派遣(放逐)される。Lykke Perという映画では、敬虔なキリスト教者である父親に反対しコペンハーゲンに出てきたPerという名の若者が主人公だ。コペンハーゲンに出て、エンジニアになりたいとPerが親に言うと、Perが聖職者になることを期待していた父親から「お前は神の子ではない。私はもう知らない、勘当だ。」と吐き捨てられる。物語とはいえ、このシーンに、デンマークのキリスト教の闇の深さを感じざるを得ない。
義父は、チャーミングなデンマーク人で、一人の人間としてとても尊敬できる人だった。その妻である義理の母は、出会った時から家族のイベントごとを除いて教会には行かない。クリスマスやイースターのミサには参加することがない。以前、理由を聞いた時の返答は衝撃で忘れることはないだろう。