オスカルと知り合ったのは、北欧に住み始めた直後のことだから、すでに12年ほど前になるだろうか。南スウェーデン、マルメに古くからあるお茶屋さんで紅茶を売っていたオスカル君に日本語で話しかけられたのが始めだったように記憶している。
紅茶が好きだと言っていたオスカル君が、いつのまにか日本茶(煎茶)の勉強をするために静岡に行き、資格を取得し、「日本茶の伝道師」としてメディアに出てくるようになっていた。久しぶりに会ったオスカル君は、流暢な日本語で丁寧語を使いこなし、日本茶をほとばしる情熱で熱く語る青年になっていた。
私は、今までお茶についてはよく知らず、何よりも煎茶を意識してみたことがなかったので、目から鱗の話が満載だった。外からの刺激によって改めて自分の立ち位置を確認することはよくあることだけれども、当たり前のように思える水とお茶の関係や、湯の温度によって味わいが変わること、日本のお茶(煎茶)の状況なども、改めて考えさせられた。
久しぶりの再会を楽しみながらも、私の頭の中では、いろいろな疑問が渦巻いていた。オスカルのお茶にかける情熱はどこから来ているのだろうか?どうしてそこまで惚れ込み、全身全霊で取り組めるのだろうか?これだけの情熱をかけて、日本茶の魅力を紹介できる人材に、日本のお茶産業は応えているだろうか。日本は、通常の日本人以上に煎茶を理解し、複数の言語で日本発のお茶の魅力を語ることができるこの稀有な人材を活かしきれているのだろうか。